電気
03 26, 2011
節電や停電は今後も避けられないだろう。ただ節電の影響で少し暗くなった風景は、意外に新鮮で悪くない。過剰な明るさをどこかで嫌悪していたのだろう。スーパーの妙なBGMが消え、注意を促すアナウンスもなくなると、別にこれはこれでいいのではと思えてくる。職場ではエレベーターが使用禁止になり階段での昇降になった。多少疲れるがそんなことは皆言わない。逆に無駄に行き来することがなくなり、本当に降りていいのか、同時にかたずけられる仕事はないかと考えるようになった。地下鉄のホームも日を追って暗くなり、日本らしくなくなった。繁華街には行ってないのでわからないが、多少は変化しているのだろう。そしてこれからこれが日本の新しいイメージとして、記憶が書き換えられるのかもしれない。暗いことが不安で、それをごまかすべく化粧していた風景が、素顔をさらしているようだ。森村泰昌が昔TVで「美術の歴史は闇に光をあてる歴史だった。最初は蝋燭の炎で、そして徐々にその光は過剰になり隅々にまで光があてられ、逆に白い闇になってしまった」と語っていたのを思い出す。今少し逆回転してその白い闇から、本来の姿が見えてきたのかもしれない。停電は困るけれど、家の風景が一変し微かな光に家族が集まり、影の存在を知り夜を意識する。もちろん、被災した方々にとって、闇は恐怖以外の何者でもない。避難所は明るく暖かくあって欲しい。街にもある程度の明るさがないと、危ないことは多々あるだろう。しかしここで、やり過ぎていた何かに気ずく必要があるとは思う。