OZAKI
数日前に主演の成宮寛貴の写真が新聞に載っていて、それが驚くほど尾崎豊に似ていたのが、気になった理由だった。ドラマは正直面白いとは思わなかったが、時々出てくるノートに走り書きされた歌詞や実際に歌われるシーンを見ると、よく聞いていた当時の感覚を思い出し、自分の過去を反芻することはできた。コンサートに行く程ではなかったけれど、随分彼に影響されたし、初めて15の夜を聞いた時、こんな歌を作る人がいるのかと思い、素直に感動した。しかし大学生になると、尾崎が好きだとは言えない空気をどことなく察知した。そして、それは今でも鮮明に覚えているのだが、「尾崎豊怪死」というスポーツ新聞の見出しを、僕は早朝の川崎大師で見たのだった。バイトでそこにいたのだが「そうか死んだのか」と変に納得し、驚くほど驚かない自分に驚いた。その感覚が何処から来るのか解らない。ただ、それまで必ず発売日にレコードを買っていたのに、その最後のCDは何故か購買意欲が湧かず、レンタルで聞いたのだった。このレコードからCDへの変換期に僕の感覚も変換されたのかもしれない。
ドラマがどこまで忠実なのか知らないけれど、真っ当な御両親のようだし、面倒を見ていたプロデューサー?も素晴らしい人に思えた。結婚し子供も生まれ、彼の周囲には何も問題がなかった。あえて言えば、彼が歌うような反抗すべき何かが消えてしまったことか。ただ、逆境を無理に自作するような彼の20代の生き方は、やはり不自然だろう。
再注目されているのか、時々カバーされた彼の歌を耳にする。相当な違和感を覚える。徳永英明が色々カバーして流行ったけれど、カバーされていい歌とそうでない歌があるように思え、尾崎豊の歌は尾崎豊のものなのだろうと感じた。コンサートのシーンで、一緒に歌っている観客に対して、彼が「歌うな、歌うな」と繰り返していたのが、印象的だった。