駅前
03 15, 2011
新聞に大きく掲載される痛ましい写真やその記事に胸を痛めつつも、出勤すべく家を出る。いつも使う駐輪場に行くと係員に「行けるとこまで自転車で行った方がいいよ」と勧められる。確かに駅は人だかりで改札口が見えず、しゃがみこむ人が道路まで溢れており、とても電車に乗れそうな雰囲気ではない。仕方なく次の駅まで移動する。その駅の駐輪場でも全く同じことを言われる。しかしこうなると、たぶんどこでも同じだろうし、職場まで自転車で行くのは、正直しんどく、ここで様子を見る。
こんな状況になりつつも、日本人の規制された行動力を賞賛する記事をいくつか目にしたが、それはこの駅でも同じで、きれいに2列になった行列の最後尾に僕も並ぶ。特にどなる人もなく、まあ仕方なかろうという感じだった。急行が止まる駅のせいか、15分程待つと電車に乗れる。もちろん混んでいたが仕方ない。職場には6割くらいの社員が到着していた。節電のため廊下は暗く、エレベーターも停止。街の風景から感じる平凡な空気と、現実におかれた状況のギャップを思う。それは自分が行う仕事と、被災している方々の苛烈な現実との乖離を思わせる。自分にできることは節電ぐらいで、次々に役立ちそうな情報を発信する人々のような、伝えるべき何かが全くないことを無念に思う。記事としての文字に集約された、それぞれの人生をただ想像するだけだ。
単一乾電池を買ってくるよう妻に頼まれたが、どこにもなかった。僕は買い物すらできないようだ。仕方なく、こんな状況で不謹慎かもしれないが、ホワイトデーの小さな包みをふたつ買って帰宅した。
こんな状況になりつつも、日本人の規制された行動力を賞賛する記事をいくつか目にしたが、それはこの駅でも同じで、きれいに2列になった行列の最後尾に僕も並ぶ。特にどなる人もなく、まあ仕方なかろうという感じだった。急行が止まる駅のせいか、15分程待つと電車に乗れる。もちろん混んでいたが仕方ない。職場には6割くらいの社員が到着していた。節電のため廊下は暗く、エレベーターも停止。街の風景から感じる平凡な空気と、現実におかれた状況のギャップを思う。それは自分が行う仕事と、被災している方々の苛烈な現実との乖離を思わせる。自分にできることは節電ぐらいで、次々に役立ちそうな情報を発信する人々のような、伝えるべき何かが全くないことを無念に思う。記事としての文字に集約された、それぞれの人生をただ想像するだけだ。
単一乾電池を買ってくるよう妻に頼まれたが、どこにもなかった。僕は買い物すらできないようだ。仕方なく、こんな状況で不謹慎かもしれないが、ホワイトデーの小さな包みをふたつ買って帰宅した。