帰宅難民

03 13, 2011
市ヶ谷で働いているので、その日は自宅のある調布まで徒歩で帰宅した。甲州街道は同じ境遇の人達でラッシュ状態だった。時々家族と連絡をとるため携帯で電話をかけたが、もちろん繋がることはなかった。しかし時々、その流浪の民の中でも携帯が繋がる人がいるらしく、家族らしき人と興奮しつつしゃべっている人がいて、よかったなあと思う。電話が繋がる先に、思う人がいるという単純な事実が、貴重な体験と気づくまたとない機会になったのではなかろうか。環八を過ぎる頃に、妻からのメールを受信した。防空頭巾をかぶった娘がピースをしている写真だった。その写真1枚で多くのことが理解でき、情報のありがたさを実感した。歩き慣れた靴で幸運だった。ハイヒールとか大変だろう。花粉症なのでマスクをしていたが、途中から呼吸の影響か濡れてしまい、外したかったが我慢した。様々な話題が耳に入った。普段そういう会話はどれも耳障りなのに、今回はどれも共感できるもので、なんだか不思議だった。居酒屋がどこも満員で、コンビニのトイレも見知らぬ公園のトイレも、自転車屋さんも、吉野家も人が列をなしていた。給田を過ぎると人がまばらになり、自分のペースで歩けるようになった。かなり揺れたし、建物の被害が所々あるかと思ったが、甲州街道から見る風景は通常通りだった。それは結局自宅まで続いた。だいたい20km前後だったと思うが、4時間かからずに到着できた。これは、今後のことを考えると必要な経験かもしれない。交通機関があてにならないこと、移動に関しては最終的な頼りが自分の体力しかない、という現実を知った。自宅で初めて壊滅した現地の映像などを見る。最初に揺れを感じて、とりあえず外に出た怖さを思い出す。ぐらぐら揺れる電柱を見上げたこと、どこからか不気味などーんという音を聞いた記憶が蘇る。被災した方々の無事を祈る。
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