4000
03 10, 2011
渋谷表参道 Women's Runという大会に妻が出場するので、その応援に行くことになった。当人は登録など色々手続きがあるらしく相当早めに家を出ていたが、スタートが8時半なので応援係も早めに家を出ないといけない。眠たがる娘を抱え代々木公園に向かう。頭が朦朧としているのか、娘は電車の中でもおとなしくガルボをほうばり、しゃべった言葉は「全部食べた」だけだった。
現地は予想を越える人だかりで素直にひるんだ。娘はお母さんにあげるというホットレモンを抱えており、なんとかスタート前に妻を見つけたかったが、それは明らかに不可能だった。ランナーが4000人で、しかも皆さん同じようなファッションで見分けがつかない。どんな格好なのかだけでも聞いておけばよかった。 スタート直前に高橋尚子さんの挨拶があったが、どこでしゃべっておられるのか、全くわからなかった。ひとめ本物を見たいと思う自分が新鮮だった。
スタートの合図で4000人が走り始めたが、ここでも妻を見つけるのは不可能と知った。僕はそんな人数の女性がいっせいに移動する事態を見たことが無く、その迫力に再びひるんだ。暴動とかで群衆が発起する時はこんな感じなのか。なんとなく写真も撮ってみた。状況がのみ込めないまま、4000人が代々木公園から走り去ってしまった。娘が「お母さんいなかったね」と言う。「どこかにいたとは思う」と応えておいた。朝食抜きだったので、出店で焼きそばを買う。娘はおぼつかない箸使いで、今度は焼きそばをほうばっていた。
どうやら最後に代々木公園を一周してからゴールするらしく、速いランナーが、ぽつぽつ現れる。4000人の迫力もあったが、ひとりでも充分迫力があった。そのひとりひとりに大きく声をかける人がいて、素晴らしいと思った。僕も心の声で応援した。いわゆるコスプレで走っている人もいたが、ふざけた感じが全くなく逆に爽やかだった。人が頑張る姿は様々だが、この走るという姿は、実にストレートにその頑張りが伝わって来る。走り方や表情にその人独特の個性が滲んでおり、見ていて飽きなかった。娘は飽きたようで、懸命に三角コーンを移動させようとしていた。ここで待っていれば、お母さんが見れるかもと娘を説得していた時、妻が走って来た。たぶん5秒もなかったと思うが、その姿を目撃した。妻は娘に手を振り笑っていた。僕は名前をつぶやくのが精一杯で、頑張れのひとことも言えず、これでは応援したことになったのか疑問が残る。
4000人が次々ゴールする。すごいなあと思う。妻はまだパワーが残っているのか、この大会の問題点をしゃべり続け、娘はお母さんにあげたはずのジュースをのどを鳴らして飲んでいた。縁のない世界を垣間見た時間だった。
現地は予想を越える人だかりで素直にひるんだ。娘はお母さんにあげるというホットレモンを抱えており、なんとかスタート前に妻を見つけたかったが、それは明らかに不可能だった。ランナーが4000人で、しかも皆さん同じようなファッションで見分けがつかない。どんな格好なのかだけでも聞いておけばよかった。 スタート直前に高橋尚子さんの挨拶があったが、どこでしゃべっておられるのか、全くわからなかった。ひとめ本物を見たいと思う自分が新鮮だった。
スタートの合図で4000人が走り始めたが、ここでも妻を見つけるのは不可能と知った。僕はそんな人数の女性がいっせいに移動する事態を見たことが無く、その迫力に再びひるんだ。暴動とかで群衆が発起する時はこんな感じなのか。なんとなく写真も撮ってみた。状況がのみ込めないまま、4000人が代々木公園から走り去ってしまった。娘が「お母さんいなかったね」と言う。「どこかにいたとは思う」と応えておいた。朝食抜きだったので、出店で焼きそばを買う。娘はおぼつかない箸使いで、今度は焼きそばをほうばっていた。
どうやら最後に代々木公園を一周してからゴールするらしく、速いランナーが、ぽつぽつ現れる。4000人の迫力もあったが、ひとりでも充分迫力があった。そのひとりひとりに大きく声をかける人がいて、素晴らしいと思った。僕も心の声で応援した。いわゆるコスプレで走っている人もいたが、ふざけた感じが全くなく逆に爽やかだった。人が頑張る姿は様々だが、この走るという姿は、実にストレートにその頑張りが伝わって来る。走り方や表情にその人独特の個性が滲んでおり、見ていて飽きなかった。娘は飽きたようで、懸命に三角コーンを移動させようとしていた。ここで待っていれば、お母さんが見れるかもと娘を説得していた時、妻が走って来た。たぶん5秒もなかったと思うが、その姿を目撃した。妻は娘に手を振り笑っていた。僕は名前をつぶやくのが精一杯で、頑張れのひとことも言えず、これでは応援したことになったのか疑問が残る。
4000人が次々ゴールする。すごいなあと思う。妻はまだパワーが残っているのか、この大会の問題点をしゃべり続け、娘はお母さんにあげたはずのジュースをのどを鳴らして飲んでいた。縁のない世界を垣間見た時間だった。