Hollow

01 23, 2010
美意識の基本を、僕は高校時代に美大に入るべく通っていたある美術予備校で刷り込まれた。
天狗だったそれまでのプライドをへし折られた僕は、自分の下手さを痛感し、そこで上手な浪人のデッサンやら平面構成を見て、あのように描くにはどうしたらいいのかひたすら考えていた。そしてそれは後々非常に役立ったが、大きな間違いでもあり、簡単な問題ではなかった。当然だ。

仕事の移動の合間に、メゾンエルメスの小谷元彦の展示「Hollow」を観た。
ほぼ同年代で、ここまで成功した作家は彼くらいだと思うし、そのテクニックと完成度は他を圧倒していて素直に見事だと思っていた。ただ正直、彼のコンセプトよりもその作品を観ることで充分刺激を受けていた。どういうことか、つまり作品の醸し出すテイストが、予備校で刷り込まれた美意識と完全に合致していたのだ。いわゆる正確なデッサン力とかバランスよいレイアウトや配色など、こう描けばかっこいい的な理想が当時はあって(現在の状況は知らない)みんな基本ではそれを目指しつつ、自分なりの視点を入れ腕を磨いていたのだが、その意識で彼の作品を観ると実に感動できたということだ。コンセプトが吹き飛ぶ技術とセンスがそこにはあった。

しかし、今回の展示はどう受け止めるべきなのか。完璧な外見の女性形態を利用し、彼の言うオーラ、気配うんぬんのイメージを加えて完成とされたその作品は、ただ劇画を立体にして白く塗ったようにしかみえなかった。展示された作品の数、その大きさやバランスといった会場構成も教科書的で、全く挑発されなかった。彼の技術をもってすれば、白はもっと冴え渡る白にできたはずだし、といったつっこみ要素が見え隠れし、彼の立派な言葉が作品に受け止められずにこぼれ落ちているようで、いくらコンセプトを尊重したとしても、あの輝くばかりの技術とセンスはどこえ消えたのかと思うと残念だった。結果、それまで自分がどういった意味で感動していたのか、そのからくりに気づいた。
いや、そこは気づいていたのかもしれない。ただその驚愕するようなテクニックを観た時、よくある少女的な平面作品から受ける戸惑いがなく、やっぱり作品とはこういうものだよなあという安心感が生まれ、うれしかったのだ。

年末に森美術館での個展が予定されているらしい。その大きな空間用としてこの作品が作られたのかもしれないが、どうあれその個展は気になるところだ。やっぱり見事だと思わせてくれる展示を切に期待したい。
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