母と子

02 26, 2011
子供から与えられた経験は、その親にとって生涯の思い出として記憶される。しかし与えたその本人は、大人になるにつれ当時の記憶を忘れてしまう。もしくはその後の体験によって、記憶そのものを書き換えてしまう。

「八日目の蝉」角田光代(中央公論新社)
やさしかったお母さんは、私を誘拐した人でした。という帯につられて買ったわけではない。その帯の裏に印刷された、小さな女の子が独り立ちつくす写真に僕はやられた。調べてみると新聞連載から始まり、NHKでドラマ化され映画化も決定している。読後感からすると、確かに切迫感があり絵になるシーンが多そうだ。
(以下、純粋に小説を楽しみたい方は読まない方がいいかもしれません)

大人になったその女の子が、自分の過去を冷静に回想する記述が物語の後半にある。自閉した人格としての感情表現なので、非常に文体が抑制されており、彼女が思い出す記憶が些細な出来事として描かれる。しかしそのどれもが、映像にしたらさぞかし感情を揺さぶるシーンになると思われる。帯の裏にあった写真もきっとそのひとつだろう。
基本的にこの物語は、読者が主人公である悲劇的な犯罪者に感情移入してしまう流れになっている。この限りなく「母と娘」に近い愛情で結ばれたふたりが、無惨に引き裂かれる描写を、僕は仕事中に得意先のロビーで読んでしまったのだが、素直にじいんとしてしまい、今しばらく打ち合わせが始まらないことを祈った。
感動したのだろう。ネットでドラマバージョンも見た。
小説では、記憶の在り方が重要に描かれている。その忌まわしい記憶が反転し、輝かしい思い出が鮮やかに蘇る場面はとても美しい。ドラマではその記憶の変化を、映像だけで表現するのが困難だったのか、それを掘り起こすような人物が新たに加えられている。文章での描き方と映像でのその差が、そこにはある。しかしそれは、原作者と脚本家の考え方でとやかくいうつもりはない。ただ映画バージョンが、この記憶の凍結から溶解への流れをどう表現するのか、気になるところだ。

そしてこれも重要だ、つまり子育てのかけがえのなさを実感できる。物語の中に提示される親子関係は、そのどれもが切ないので、普通に生活できるありがたさをしみじみ噛み締めることになる。僕は今週末、娘とどこか出かけようと硬く決意した。しばらくは、通り過ぎる親子に勝手に共感し、幼子の寝顔を冷静に見られないだろう。もうひとつ、この小説に登場する男達は、どうしようもない輩ばかりで辟易した。結局は男のだらしなさが、こういう悲劇を生んだにすぎない。そこまでひどいものなのだろうか。

ドラマの主演は壇れいと北乃きい、映画は永作博美と井上真央。
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