見えてはいるが見てはいないような状態

10 13, 2019
僕の視力は0.02。裸眼での生活は不可能だ。眼鏡がなければもう何も見えない。ピントが合うのはせいぜい20cm。以前、裸眼で視力を計られた際、僕が言った台詞は「どこを指してますか?」だった。しかしそんな僕でも風呂は裸眼で入る。眼鏡と風呂は合わない。さて先日、銭湯で眼鏡を持っていかれた。他人の眼鏡なんて役に立つわけないから、すぐに返却されるだろうと思っていたが、あまかった。僕が時々通っている銭湯は、サウナと檜風呂を楽しもうと思う場合、別料金を支払う。その際、靴入れの鍵と交換で黄色いバスタオルが入った透明バッグを渡される。更にそのバックには番号が付いており、それが誰の物かを判別する印となる。そしてこの日に限って、僕は眼鏡をかけたまま中に入ってしまい、仕方なく透明バッグに眼鏡を入れて長風呂を楽しんでいた。そしてあがる際、自分のバッグがなくなっていることに気づいた。番台のおばあちゃんに事情を説明するも、なかなか要領を得ない。そもそもバッグを間違っている時点で靴箱の鍵と合わないから、間違えた本人がバッグを戻して欲しいところだが、その本人が常連のおじいちゃんだったようで、番台のおばあちゃんはそのまま靴箱の鍵を渡してしまったらしい。バッグの中に眼鏡はなく、おそらく常連のおじいちゃんが持ち帰ったのだろう。番台のおばあちゃんは毎週来るから聞いてみると言ってくれたが、望みが叶うとは思えない。あの日、遠近感も輪郭も曖昧となった風呂のような世界を漂いながら僕は帰宅した。やはり眼鏡はロッカーに戻しておくべきだった。当然ながらその後の連絡はない。まあ安く作った眼鏡だったし、諦めて新たに作ることにした。しかし今度はその新しい眼鏡が合わず、暫くしてから鼻の付け根が痛くて仕方がない。パッドみたいなものがあると知り、それを眼鏡の鼻当て部分に装着して暫くごまかしたが、やはり合わない。そしてある時、昔の眼鏡をかけてみた。これだと視力がせいぜい0.3程度しかない。しかしこれが意外に新発見だった。ようやく言いたいことが言えた。僕の目は明らかに老眼も入っており、ピントを合わせる機能が低下しているため、1.0の眼鏡だと本もスマホも見えてはいるが見てはいないような状態となるため、読むという行為の際は、眼鏡を外して対象を目に近づけて裸眼で読むようにしていた。その方が「しっかり読んでいる」という確かな感触が得られたからだ。そして今回の発見は0.3の眼鏡だと眼鏡を外さなくても、本やスマホの文字を「しっかり読んでいる」感触を得られたことだった。確かに周囲の光景はぼんやりしてしまうし、人の顔もよくわからなくなる。でも思えば、今更他者の顔を明確に見る必要性などないし、通勤時に広がる周囲の不機嫌な顔など逆に見えない方がストレスがない。しかもその分眼鏡が軽いしレンズも薄い。これはいい。1.0の眼鏡は短時間であれば大丈夫なので、映画鑑賞用にでもすればいい。発見であった。今度眼鏡を作る時は「視力を0.3程度に合わせたレンズにしたいのですが」ということになる。さて、こういうオーダーを店員は聞いてくれるのだろうか。
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任田進一

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