完全な複製物ではなく、少しだけ何かが変わった複製物

02 24, 2019
ソフィ・カルの「限局性激痛」を観た。このタイトルはいつも忘れてしまうが、縫い込まれた文字の色が支持体の布に溶け込んでいく様相は忘れたことがなかった。「時のかたち」の著者ジョージ・クブラーが「模倣の過程には対照的なふたつの動きがある。それらは、質のよさへ向かう動きと質のよさから遠ざかる動きとして説明できる」と書いている。時の経過によって何かが変化するシーンをテーマにした作品は多々あるが、この「限局性激痛」の場合は、そのどちらでもなく「傷が癒えていく動き」になるのだろう。しかし、観ている間何度もこの言葉が脳裏をよぎった。「それぞれの瞬間はその直後に起こった瞬間のほぼ正確な複製物である」これもジョージ・クブラーの言葉だが、この「ほぼ」が重要で、言いかえればそれぞれの瞬間は「完全な複製物ではなく、少しだけ何かが変わった複製物」なのだ。変化がどこに向かうのか、その微妙な差異を見極めないと痛い目にあうのだろう。質の向上なのか劣化なのか、傷が癒えているのか悪化しているのか。気づいたら遅かったとはなりたくないものだ。
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