可変と不変の絡み合い
01 01, 2019
テレビが壊れて以来、家にはテレビがなかった。無ければないでなんとかなるもので、そのままテレビを見る習慣自体が消えてしまい、少なくともここ2年ぐらいはテレビを見ていなかった。今回ある事情で年末にテレビを買った。時期が時期ではあったが、あっさり購入できた。随分と軽くなっていた。以前家にあったテレビよりも大きいのに、重さは半分以下ぐらいの印象で、時代の経過を感じた。ただ、受験生がいることもあり、設置はしたもののテレビをつけることはなかった。そして昨日、大晦日ぐらいはいいかと思い、テレビを見たのだが、ニュースや天気予報を見るだけで新鮮だった。ああ、説明してくれるんだと思った。その代わり、こちらが理解できない状態でも次のニュースは容赦なく始まってしまうのだった。当たり前だが、そんなことに一々感心していた。晴れや曇りのマークはあんなに動いていただろうか、番組の進行や画面の切り替えは、こんなに慌ただしかっただろうか、紅白も見たが、知らない人だらけである一方で「希望の轍」を聞くことになるとは思わなかった。言い尽くされてはいるが、全くもって変わるものと変わらないものが同時に共存していた。そして更に、その変わった中でも変わらない部分があるし、変わっていない中にも変わった部分があるのだろう。可変と不変の絡み合いをテレビを見ながら感じた。


