現状維持に対する不可能性の顕現
09 14, 2018
ほんの少しの誤動作が決定的なダメージに繋がる時、微妙なバランスの重要さを実感する。当然ながら完璧な安定などない。全ては常に全壊の可能性を孕んでいるし、全壊する時は容赦なく全壊するものだ。しかし、それが終わりなのかといえば、意外にそうではなかったりする。では何なのか。おそらく全壊とは現状維持に対する不可能性の顕現だろう。それ以上続けていても、そのバランスはいつか崩れるというひとつの予兆なのだ。壊れる時は壊れるべくして壊れる、そういうことだ。そして酷なことに、丁寧な日々を大切に積み上げていてもそれは起こる。であれば、全ては無意味なのかといえば、決してそうではない。そうなる可能性を予測しておくこと。時には自ら変化を加えること、そういう意識の保持がバランスの継続に繋がる。そして、たとえ全壊してしまっても、過度に動揺する必要などない。次に何ができるのかを、その場所から少しづつ考えていけばいい。未来はそのためにある。



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