「ただの倉庫」ではなかった
03 23, 2018
ひたすら人が語る話を聴く時間だった。場所はイベント会場と形容するには戸惑う程の「ただの倉庫」で、壊れたラジカセといった過去の遺物が周囲に積み上げられ、その全てに見事に埃が被っていた。その日は3月後半というのに雪が降り、小さなストーブしかない会場の寒さは屋外と差がない。主催者は使い捨てカイロを配っていたが効果は微妙で、どちらかといえば、その心遣いの方が暖かかった。椅子も祖末で統一感はなく、とりあえず集めたであろう代物で、正直、予想していた空間とかけ離れており、全くもって愕然とするしかなかった。
しかし、このイベントに僕を誘ってくれたTさん本人が登場し、沈黙したまま会場の中心に垂れ下がった電球を変えて、光の演出を加えると、その空間は見事に「倉庫」から「Tさんのイベント会場」に変貌し始めた。珍しいヴェルモットの瓶とボンベイ・サファイアがテーブルに置かれ、グラスと氷の音を絡めた演出に合わせて、カクテルに関する朗読が始まると、そこは「舞台」になった。氷や水で割らない強い酒が少量ふるまわれ、それを皆で飲みながらトークが始まり、美術を中心に藝術というジャンルを様々に跨いだ話を黙って聴いていると、空間は更に変貌し、隠れ家に集まる仲間と一緒にいる気分になり、更に酔いも手伝い、こういう時間を久しく味わっていなかった自分に気づいた。
どうしても会社で交わされる言葉というのは、当たり前だが「際限のない利益追求」が絡むため、思考純度が極度に下がり、どうでもいい内容が大仰に語られ、つまりは考えるべき問題が選別される。もちろんそれはどうにもならない周知の事実で、今更誰も踏み込まない。言ってしまえば、もう終わったことだ。しかし、僕自身はそこで何十年という多大な時間を過ごしているわけで、とうに慣れたつもりでいたが、意外と荒み切っていたらしい。Tさんが会場の方々と交わしている言葉を聴きながら、己の荒み度合いを実感していた。こういう純度が極端に高い会話を聴いていると、まだこの世界はあったんだ、という安堵に浸る感じで、なんとも幸福なのだった。止むに止まれぬまま藝術と絡んできたであろう方々の纏う空気が、自分に浸透してくる感覚が嬉しかった。「ただの倉庫」ではなかった。今後の可能性を孕む「純度が極めて高い空間」だった。主催者とTさんは、実に素晴らしいのだった。本当に良い時間を過ごせた。
しかし、このイベントに僕を誘ってくれたTさん本人が登場し、沈黙したまま会場の中心に垂れ下がった電球を変えて、光の演出を加えると、その空間は見事に「倉庫」から「Tさんのイベント会場」に変貌し始めた。珍しいヴェルモットの瓶とボンベイ・サファイアがテーブルに置かれ、グラスと氷の音を絡めた演出に合わせて、カクテルに関する朗読が始まると、そこは「舞台」になった。氷や水で割らない強い酒が少量ふるまわれ、それを皆で飲みながらトークが始まり、美術を中心に藝術というジャンルを様々に跨いだ話を黙って聴いていると、空間は更に変貌し、隠れ家に集まる仲間と一緒にいる気分になり、更に酔いも手伝い、こういう時間を久しく味わっていなかった自分に気づいた。
どうしても会社で交わされる言葉というのは、当たり前だが「際限のない利益追求」が絡むため、思考純度が極度に下がり、どうでもいい内容が大仰に語られ、つまりは考えるべき問題が選別される。もちろんそれはどうにもならない周知の事実で、今更誰も踏み込まない。言ってしまえば、もう終わったことだ。しかし、僕自身はそこで何十年という多大な時間を過ごしているわけで、とうに慣れたつもりでいたが、意外と荒み切っていたらしい。Tさんが会場の方々と交わしている言葉を聴きながら、己の荒み度合いを実感していた。こういう純度が極端に高い会話を聴いていると、まだこの世界はあったんだ、という安堵に浸る感じで、なんとも幸福なのだった。止むに止まれぬまま藝術と絡んできたであろう方々の纏う空気が、自分に浸透してくる感覚が嬉しかった。「ただの倉庫」ではなかった。今後の可能性を孕む「純度が極めて高い空間」だった。主催者とTさんは、実に素晴らしいのだった。本当に良い時間を過ごせた。