はぐらかし

02 18, 2011
曽根裕の「Perfect Moment」を東京オペラシティーアートギャラリーで観た。
いつも同じ感想を持つのだが。今回もそれは裏切られなかった。それはある種の「やぼったさの維持」である。大理石や水晶といういかにも美術品的素材を使っているのに、全くそう見えないのだ。例えば作品のひとつである水晶で作られた雪の結晶とか、いくらでも綺麗になりそうなテーマにも関わらず、ただの雪印マークの3Dにしか見えない。他にも大理石の観覧車やマンハッタン島があるが、それらは全くそのまんま精密に彫られるだけなので、ただの建築模型だ。水晶や大理石を彫り上げる行程には、様々なドラマ、苦労、人間関係が絡まっているだろうに、そういう思い入れみたいなものも見事に消されている。たぶんその作品そのものを見ても、感動する人はいないのではないか。もちろんあえて安易な劇的さを避けているのだろうが、あまりにも表情が消えたその彫刻にいつも戸惑う。僕などには想像もできないようなコストがかかっているだろうし、その石工技術をもってすれば、いくらでも格好良くなるだろうにと思うのだが、その道に彼は絶対踏み込まない。逆にそういう意味で、表情豊かに格好良くテクニックを見せつける展示をするのが、小谷元彦だろう。この2人は2003年にベネチアビエンナーレの日本代表に選出され、 2人展をしたのだが、その作品へのアプローチの仕方で、完全に評価が分かれたようだ。分かる気がする。そして今この2人が初台と六本木で同時期に個展を開催しているのだが、何かの意図を感じて仕方ない。

この2人の作品を観ていると、自分の頭で感じることと目が喜ぶことのズレを実感できる。小谷の作品を観るといつも最初に目が興奮するのだが、そのコンセプトや彼の言葉を知るにつれ、何か頭が冷えきってしまうのだ。その彫刻史の文脈をなぞるスタイルは正統派なのだろうけれど、理屈がその視覚的高揚感をおさえるように機能して、意外に芸術としての在り方に縛られている人なのかと思えてくる。
逆に、曽根の作品からはそういう文脈は全く感じられず、自由を謳歌しているように見える。「地名世界一決定戦」などふざけているのですかと思うタイトルや、リレーションアート特有の作品が持つふんわりした空気は、芸術という概念があまり感じられず、誰も考えなかったようなものを作品化していく姿勢は魅力的だ。また今回の作品である、水晶や大理石の彫刻を中国人の石工職人に依頼しに行く行動力や、それを10年以上継続させる関係を築く話には素直にしびれた。実際、専門家も彼の作品や動きを分類することができず、その独自性は抜群のようだ。
しかしだ、頭でそこまで感動しているのに、実際の作品をみるとヘナヘナしてしまう。なんか躱されている感じなのだ。展覧会カタログの最後のページが手で引き裂かれているのだが、それもデザインらしい。解ってしまわれないよう相当知恵を絞っている人なのだろう。
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