おそらくその「なんとなく」

09 29, 2019
あたり前のことだが、他者の判断に自分は関与できない。仕方ないことだし、ここを耐えねば生きてはいけない。それにしても、倍率にはどの程度の信憑性があるのだろう。高い倍率を制して選出されることは、その品質を担保する証明になるのかもしれないが、努力は倍率を凌駕できるのだろうか。こんなことを考えるのは無意味だし、そもそもコンペは、選別された何かのために存在するのであって、それ以外ではない。しかし、そこまで残ったならば最後まで残っていたかった、という結果が時々自分を翻弄する。さっさと忘れればいいことを反芻し、もどかしい思いを引き摺ったまま未練を断ち切れない時もある。今回1259篇のうち三次予選の12篇まで残りつつ破れたわけだが、それはあと一歩届かなかったと考えるべきなのか、そこには決定的な断絶があって、そこから先こそが勝負だったのか、審査される側からは決して見えないエリアがそこにはある。ただそれが、社会的な信用のフィルターなのだ。権威者の決定が伴うとはこういうことを意味する。しかし自分が審査する側に立つ時、選抜するしないの判断に明確な差異がないことも思う。なんとなくこれ、という判断を下す自分もいるわけだ。ただ、おそらくその「なんとなく」が重要なのだ。「なんとなく」気持ちを寄せてしまう要素があるかどうか。残る作品と残らない作品の差異、そのあわいをいつも彷徨っている。
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任田進一

Author:任田進一
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