始めることで見えてくる光景
07 26, 2018
こちらのテンションをいくら上げたところで状況は変化しない。「今日は写真を撮る」と意気込んでも理想的な被写体と出会える保証はどこにもない。ただ、ある程度経験を積んでくると「それなりの写真」を撮ることはできる。そして、そんな行為でも続けていると、それなりではない被写体がどこからともなく現れることもあり「今日の1枚」みたいなものが撮影できたりもする。しかし、それらを家で見直していると意外に始めの方で撮っていた「それなりの写真」の方が、何かのさりげなさがある分「今日の1枚」よりも魅力があったりもする。結局自分の意志なんてものは、状況に左右される脆いものでしかない。ただ行為自体は、何をさしおいても必要であることは間違いない。行為を起こした後で生じる「感覚的なその時々のノリ」みたいなものの方が、当初の意気込み以上に信用できる気がする。何かを始めるということは、その目的に到達するまでの間に、様々な偶然的無意識を起動させることであり、そういう曖昧な感覚の存在を知っておくと、現場でのアドリブに対する壁が低くなるように思う。結局、始めないことには何も始まらないし、始めることで見えてくる光景に対し、どう接していくかをその時々で考えるしかないのだ。気軽に一歩を踏み出す方が、綿密な計画を立てるより重要だったりすることもある。


