普通の人

09 30, 2015
普通の人は大抵「普通のこと」が完遂出来ずに、諦めるなりごまかしたりする弱さを合わせ持った人のことであって、本人が思うことを困難を克服しつつも着々と遂行できれば、それは普通の人ではなく、かなり特別な人ではなかろうか。

「職業としての小説家」村上春樹(スイッチ・パブリッシング)
僕が初めて村上春樹を読んだのは大学生の時で「ノルウェイの森」だった。奥手な僕は、その同い年くらいに設定された主人公が絡んでいく女性達との奔放な行為に衝撃を受けつつ、そこで繰り返される、やたら長い会話とビールを飲む回数と「やれやれ」に象徴される冷めた空気に感動していた。確か場所も同じ国分寺だった。以降、たぶん彼の著作は全て読んだ。

有名なのかもしれないが、まず英文で書いてから日本語に訳して独自の文体を構築した話や、楽器を演奏するように文章を書き連ねるイメージ、といった細かな逸話が、実にしっくり腑に落ちるのだった。そして、僕が読む頃には絶大な人気に裏打ちされた賛辞しかなかったように思うが、そんな当時でも相当な非難を浴びていたこと知った。そのベストセラーぶりに業界内で嫉妬心が渦巻いていたのだろうか。

オリジナリティとは何かという話が出てくる。これまでも様々に議論されてきたことだが、そこを実にシンプルに語っている。ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を初めて聞いた瞬間、知識がなくても古いラジオの貧しい音源からでも、その「今までに全く聞いたことがないのにかっこいいサウンド」が当時15歳の少年でも充分理解でき「ぞくっ」としたこと、それこそがオリジナリティなのではないかという部分、異論がある人は少なそうだ。ただその一発だけではなく、そこからの進化がその後の作品に必要なこと、そしてその表現が時を経て古典へと昇華していくことが、オリジナリティの条件として加えられていたが、確かに理屈や説明を越えて、その作品が他者に未体験を味わえさせられるかが重要というところ、調度盗用問題で世間が湧いていただけに素直に理解出来ると共に、消費社会の流通速度の影響で、アレンジやサンプリングといった手法が表現の本流になっている今の現状が、なんだかもの悲しいのだった。もう急ぐのはうんざりという人も多かろうに、さらなる加速をこの世は求めている。

小説家とは破天荒な堕落した生活と共に在るのではなく、規則正しい生活と健康な身体を維持する努力が必要なのではないか、という村上春樹特有の持論は賛否が分かれるだろう。確かに異常な体験をすれば書く内容も蓄積されるが、そういう経験をせずとも小説は書ける、という話に僕は勇気をもらった。もちろんそこには、日常を異常に見るといった本人の想像力が過分に試されるわけだが、特別な体験をしなければ特別な作品は作れないわけではない、というところ重要だろう。

僕は「普通の人」だと村上春樹は言っているが、間違いなく普通ではない。ただあそこまで成功した人でも自分自身を特別と思わない感覚は、どこまでも自分に対し厳しい姿勢を崩さない意志でもあるのだろう。初めて書かれた「風の歌を聴け」の冒頭は「完全な文章などといったものは存在しない」というフレーズで始まるのだが、何かの暗示を感じるのは僕だけだろうか。どうかその健康を維持して長生きし、作品を書き続けてほしいと思う。
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