金と銀

01 06, 2015
娘があるゲーム上での家作りに夢中で、和風の家を作るのが夢だとか話しているので、金ピカの家があることを伝えると、そんな家があるわけないと信じないので、帰省ついでに金閣寺へ行ってきた。世界遺産かつ大晦日であったこともあり、外国人が多く混んではいたが、不快ではなかった。また何年ぶりに見たのか思い出せないけれど、鮮烈な印象も変わっていなかった。娘も鏡湖池の向こう側に建つ舎利殿の輝きに見入っていた。極楽浄土を模して作った等、色々あるのだろうが、視界にいきなりドーンと見えるのではなく、ある距離感を持って水上に建つ感じが確かに現実離れしている。一階が金でないことも良いのだろう。もしそうであったら浮遊感がまるで違う。遠くにこじんまりと光っていることが、派手なわりには奥ゆかしく、よくできたデザインだった。
金という色は他の色と混ざらないので、どうにもえげつなくなりがちだが、ピタリとハマると効果的ではある。背景の緑に囲まれることで金が浮き出るため、その異空間ぶりが強調されるのだろう。また上手いのは池に反射する光が屋根の下側を照らし、その明るさを助長するところだろうか。次の日京都は雪に包まれるのだが、その白い空間での金閣も絵葉書的だけれど実際に見てみたかった。

せっかくなので銀閣寺も見に行った。銀箔が使用されていないことが娘には残念だったようだが、こちらはその渋さが見事であった。両サイドの高い生け垣の長いエントランスを抜けて、どかんと現れる向月台を見る時、いつも予想より大きく感じてしまう。上面が見えそうで見えないのもいい。この銀沙灘と向月台を日々整えたり庭を手入れする職人は、定年を迎えるその最後の日に観音殿の二階(潮音閣)に上がり、その全貌を見ることが許されるらしい。月あかりで見るその姿は、息をのむほど白いそうだ。周りの樹々が闇に溶け込む中、その白が銀色に輝くのだろうか、色々想像してしまう。
有名な東求堂や同仁斎もあるが、庭や地面に浮き出る苔がとても印象に残った。これも義政の力か。手を入れる部分と、成り行きに任せる部分のバランスなのだろうか、隅々までコントロールしない重要さを垣間みた気がした。
タクシーの運転手が話していたが、よく言われる銀箔を貼らなかった理由は、予算の都合ではなく銀が変色しやすいからなのだそうだ。(そもそも貼る予定などなかったという説もある)ちなみに銀食器の本当の目的は、美しさではなく毒を盛られた際、直ちに気づけるかららしい。どこまで本当なのか知らないが、金と銀の意味を考える時、金は直接的な色として存在感を放つが、銀は逆にの間接的な印象としてその効果を薫らせるように思える。銀シャリとか銀世界とか銀幕等々、そして銀閣寺にはその見えない銀が様々に在るような気がした。
娘はさっさと見終わり、出口付近でゲームの家作りをしながら待っていたが、どのように初の金閣と銀閣を受け止めたのだろうか。またいつか見に来る時、今回の記憶はどう生かされるだろうか、そんなことを考えた。
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任田進一

Author:任田進一
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