人気の秘密

12 28, 2014
昔コロコロコミックなんて、どこにでもころころ転がっていたが、最近は人気絶頂のようで、書店で買うとひとり一冊までという規制があったりする。そして表紙もずっと「ドラえもん」かと思っていたら、今は違う「妖怪ウォッチ」である。ちなみに娘のクラスでは、多くの児童がサンタにお願いしたのは「妖怪ウォッチ」関連グッズだったという。何がそんなに人気なのだろうか。そしてそんな冬休みになった子供らをかき集めるべく、映画も公開された。娘も当然のように観たいと言い出し、年賀状も出してしまうといい感じに暇になり、その人気が分かるかとも思い、観て来た。

「映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!」監督:高橋滋春・ウシロシンジ
何の前情報もなく何の心構えもなく、映画を観るのは久しぶりだった。であるからか分からないが、僕はほとんどその世界に入っていくことが出来なかった。とにかくそのテンションの上げ下げについていけず、しかし周囲の子供らは大喜びだったので、たぶん面白いのだろうが、今の子供の笑いのツボはこんなところにあるのか?という思いがいっぱいになった。とにかく昭和的ギャグの連発で寒かった。
「そしてその人物とは!」
「えええ〜っ」
「まだ何も言ってないし〜」
みたいな感じが、これでもかと続く。しかしそれが子供には大ウケで、娘もゲラゲラ笑っていた。しかも使い回し的要素が実に多かった。「マスターニャーダ」とか「3丁目の夕日工場」とか「金さん銀さん」「〜百万倍返し〜」等々、パクリまくりの連続で、こんなことが許されるのかと不安になった。権利関係の手続きを想像しただけで気持ち悪くなる。また物語自体も、タイムスリップ、死んだ祖父と同い年で再会、悪者との対決でピンチに、必殺技が炸裂、無事解決。というそのままプリキュアやドラえもんにコピペ可能なシロモノで、それでいいのか?と思ったのだが、終始笑いが絶えず子供らは大満足状態であった。

子供の情緒というのは、確かに目まぐるしい。さっきまでこの世の終わりかという程に泣いていたのに、次の瞬間には喜び満面で笑っていたりする。物語は続いていくのではなく、その都度の集積で成り立っているのだろう。そういう人格に対して、ベタなギャグでテンションを揺らしながら、仲間と出会い協力し、悪者を倒して世界を救う、という流れがあればそれでもいいのかもしれない。絵の完成度は高かったとは思う。しかし釈然としない。

娘にヨーダとか倍返し等、知っているのか聞いたところ「ヨーダって何」と聞かれ、帰宅後 youtube を見せながら、レクチャーしてしまった。僕にとっては「マスターニャーダ」より「マスターヨーダ」の方が存在感が大きかった。思えば、腕にはめる妖怪ウォッチにしても仮面ライダーのパーツみたいだし、妖怪の描かれ方も鬼太郎みたいだし、主人公の友達関係はドラえもん的だったし、言ってしまうと、全てが様々なヒット作品のいいとこ取りのようだった。しかし、それらが子供にはウケるのだろう。それもとんでもない規模で。人気の秘密は結局わからなかった。わかりたくないだけかもしれないが。
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画像:http://dogatch.jp/kanren_news/tx/2014_07/tx_1103_youkai.jpg
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a return gift

12 25, 2014
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もっとのみたいなられいぞうこにいっぱいあるよ。と書かれている。
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自分の絵が動く

12 16, 2014
その黒く塗りつぶされた部屋に入ると、壁一面に海中シーンが映されていた。そこで泳いでいる魚達が子供の絵みたいだと思ったら、本当に子供の絵だった。そこでは、魚の塗り絵がやり放題で、大人も子供も黙々と塗り絵に集中していた。なにしろ完成した塗り絵をスキャンしてもらうと、間髪入れずに自分の描いた魚が巨大スクリーンで泳ぎ始めるのだ。自分の絵が動く事実が新鮮なのだろう。大人も子供も本気で喜んでいた。
描かれた魚が、伸び縮じみしつつ、方向転換しつつ海中を泳ぐ。実に様々な絵があるので、その中でいかに目立つかを考えた魚が多かったが、やはり子供の描いた稚拙な魚がクニャクニャしている方が、見ていて愛らしかった。そしてどんなに狡猾に塗り絵をしたところで、その動きを通すことで帳消しになり、そこでゆらめく魚達として馴染んでしまうのが笑えた。

娘はずっとここで塗り絵をやり続けたい感満載だったので、しばらく好きにさせ、僕もやってみた。感想としては、初めてポラロイドカメラを体験した時と似ていた。自分がした行為が機械を通すことで別の何かに切り替わり、瞬間的に明確な具体物として目の前で生まれ変わる感じだろうか。ただ、ポラロイドはそのプリントが手元に残るが、この塗り絵の場合は、スクリーンで動き始めた絵には命が宿る一方、残された絵が抜け殻のように思え、大量に捨てられた紙の魚達が少し哀れだった。デジタル化されることで採用される情報と捨てられる情報があるのだろう。それは仕方ないことか。
他にも2Dの塗り絵が3Dに変換されたり、人がその形を踏むことで映像が反応し切り替わるケンケンパの道とか、遊びとデジタルを融合させた試みが多数あり見事に盛り上がっていた。

「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」というこの企画展は、あの毛利衛さんが館長の日本科学未来館で開催中で、常設展も充実している。10,000枚の有機ELパネルが使用された巨大な球体に、100万個のLEDで映し出された地球とか、二足歩行ロボットのASIMO君とか、そういう先端技術を集結して作られたであろう様々な未来が満載であった。何と言うか、人間そっくりな外見を持つ大人の女性ロボットもいて、これは不気味だったが、そういう好感だけではない違和感も含め楽しめた。企画展は、来年3月1日まで。ちなみに、この魚の塗り絵は、以下3つの要素が子供達に身に付くらしい。娘はそれらを学べただろうか。

1:表現力の発揮/自分自身の中にある創造力に自信を持ってもらうこと
2:多様性の尊重/一生懸命取り組んだ 自分の作品に対する気持ちと同じくらいの気持ちで他人の創造物を鑑賞する機会を持ってもらうこと
3:自己効力感の醸成/自分の選択や行動が他人に見える形で変化をおこしているのだということを自ら感じ取ってもらうこと
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写真は何故かケンケンパの道。カメラを忘れてしまい、携帯電話のカメラになってしまったのが残念。
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Triplet

12 13, 2014
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その真新しい顔

12 11, 2014
年に2回ぐらい会う友人に子が生まれた。その生まれた子の顔写真を見た時に「ああそういえば、友人はこういう顔だった」という感想を持った。その逆説的な感じで友人の顔の特徴を理解するのは、上手な歌のモノマネを見て、そのオリジナルの凄さを実感するとか、何度も何度もデッサンし見飽きた石膏像のオリジナル大理石像をルーブルで見た時の不思議な感動とかに通じるかどうか分からないが、自分自身のあいまい記憶をより明確に正されることに加えて、何かの本質がさりげなく開示された感じが、なんだか気持ち良いのだった。本来ならば「A」を知るのであれば「A」だけ見れば充分なのだろうけれども、そこで「A'」なり「a」なりを知ることで、より深く「A」に潜む何かを感じたりするのだろう。そしてその何かこそが、血の繋がりとか癖みたいな、その個人ひとりと知り合っても見えてこない本質かもしれない。
それにしてもあの小さな赤ちゃんに、その友人が今まで生きてきたことで作られた顔の特徴とか、変わりようのないDNAなどが結実しているのだ。その真新しい顔は、これからどう成長していくのだろうか。良き未来でありますようにと思う。
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任田進一

Author:任田進一
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