図工の才能

05 28, 2014
小学校2年生の娘が「私は図工の才能がないのかなあ」と話しかけてきた。調度、「僕は作り手としての才能がないのかなあ」と思っていたところだったので「おおっ」となり、なんでそう思うのか聞いてみたところ、クラスメイトに描いた絵を「地味だね」と言われたことが、ひっかかったらしい。どうも絵の具を混ぜ過ぎてしまうことと、完成の前に終了時間がきてしまうことが、本人にとって納得がいかない経緯であるようだ。絵具を混ぜ過ぎてしまうことは、求める色を一生懸命探し続けたゆえのことだし、終わりの時間がきてしまうのは、描きたいスケールの違いだし、何も気にすることはないと言い聞かせたが、本人としてはかなり悔しかったらしく、いかにその友人の絵が適当だったかを話し始めたので、それはまた別の問題なので悪く言う必要もない、とにかく絵が地味だから悪いということは一切ない、と繰り返し話していると、娘にアドバイスしているのか、自分を鼓舞しているのかわからなくなってきた。
アートをやったりデザインを考えたりしていると、とかく上手く進まない状況に陥る。そんなことは珍しくもないし、いちいち苦しんでいたら、やってられないのだが、自分でも嫌になるくらい毎回苦しんでしまう。そして、そんな時のために「上手く行かない時、その思いの言葉を書き連ねるノート」というのがあって、そこに新たな苦しみを記述するのだが、これがまた実に同じようなことを、同じような時期に書くことになり、相変わらず成長していない自分を実感するのだった。
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好奇心丸出しで凝視

05 05, 2014
娘と「ネイチャー」を見に行った。厳しい弱肉強食の世界は小学校2年生には恐怖そのものだったらしく、目を覆って怯えていたが、大人達はみんな好奇心丸出しで凝視していた。自分が生活している時に、同時に世界ではこういう事が起きているのだと思うと、当たり前だが地球は大きい。そういう動物達の貴重な映像が満載であったが、僕はそれ以上に、水のシーンに釘付けだった。2トン以上の5Kカメラ&3D機材を駆使して撮影された様々な水のシーンは、既視感があるものの、鮮明で高細密でため息の連続だった。星の光の反射で、劇的な輝きを放つツララの生成過程は実に見事で、雪の結晶が出来上がっていくシーンを見た時は、ものすごく幸せな気分になった。様々な時間軸でミクロ視点とマクロ視点とを織り交ぜ、撮影された水の動きを見ていると、人間が通常生活している時間の感覚が、こういう事実を見逃す原因なわけで、とても残念な気分になる。もちろん物事を劇的に見るだけが大切なわけではないが、こうやって実際に見せられると、頭で描いていた印象と事実とのギャップはあまりに大きい。「見ているようで、何も見ていなかった」そんな思いでいっぱいになった。
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任田進一

Author:任田進一
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