sweets

03 30, 2014
03-30 16.25.28
03-30 16.25.37
03-30 16.25.47
寒くても、やっぱり甘いものが好きらしい。
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Lunch

03 23, 2014
onbentou00.jpg
娘が初めて自分で作ったお弁当。
残さず食べる意味を理解できるだろうか。
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仰々しいモノではなく

03 12, 2014
「解答」を見た時「ああ、こんなことで良かったのか」と思う。そして、どうしてこんな簡単なことが思い浮かばなかったのか、と身の程を知るわけだが、実はその簡単なことが要は簡単なことではなく、とても困難なことなのだ。簡単そうに見えるその「解答」に潜む数多くの回り道やボツ案を見抜かなければならない。そして、次こそは自分がその「解答」に辿り着くにはどうすれば良いのかを考える、という日々を思えばずっと過ごしている。

モノを作るとき、特にそれが依頼から始まるクライアントに向けての場合、どこにその「解答」が在るのかを探す前に、まずどういう姿がそのモノにふさわしいのかを考える。その特徴を踏まえつつ、世の中の流れや売られる価格、かけられるコスト、競合商品との差別化等々、数あるハードルをクリアして行くほどに、その姿は朧げなものから徐々にピントが合って、その全貌が見えてくる。この時、それがそのモノに関わる人々全てにスムーズに同じ様に見えてくれば、それはあまり問題が起こらないままに「解答」へゴールできるのだろうが、人によって様々な姿が見えてしまい、どうにも統一できないとき、その「解答」は幻に変わりどんどん遠のく。そのうちどこを歩いているのか、そもそもこの道は正しいのかという不安がこみ上げ、袋小路に追い込まれ、問題を複雑化してしまう。それはいい兆候ではない。しかし、やたらスムーズにゴールしてしまった「解答」が魅力的とも限らない。そこに潜む紆余曲折がない分、厚みに欠けそうである。波瀾万丈な経緯を踏まえつつ、必要な要素を最小限でズバッと言い当てたような「解答」が理想的なのかもしれないが、それはとても大変なことだ。そして今日も、どうして僕はこんなところにいるのだろう、という迷子状態が続いている。そういう迷子用に、道には色々案内板もある。「こっちが近道です」とかだが、それも怪しいものだ。途中で一緒に歩くメンバーが増える場合もある。相談し合って悩みを共有し道を決めて行く、時々だが、それが見事な「解答」に辿り着くこともある。けれど夢中だった分、後でその道を振り返ってもどこをどう通って来たのか記憶は定かでない。珍しく、道を覚えていたとしても同じ道が次も通れるかどうかはわからない。その分かれ道に立たなければ、何もわからない。

自分が出した「解答」は、他者にどう見られているのだろうか、できればそれは複雑な何かを持った仰々しいモノではなくて「ああ、こんなことで良かったのか」とかであったらと思う。凄そうに見せることは逆に簡単なのではなかろうか、そうではなく「あれ、こんなところに答えが」みたいな作品を創れないかと常々思う。
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願望の連鎖

03 06, 2014
先日雨の朝、登校の直前になって娘は、今日はレインコートのみで行くから傘はいらないと言う。学校に傘が2本あるといけない、というのが理由だった。僕はその2本あるとマズいという意味が分からず、また家にあるレインコートが100円均一のどこに裂け目があるかもわからないボロだったのと、せっかく買いそろえた、かわいい傘と長靴で登校してもらった方が、 色々問題が少く思え、娘の主張を却下した。ひとしきり怒った娘が、しょんぼり歩き始める姿を見ていると、なんとも切なくなるのだが、あのレインコートのみでは、ずぶ濡れになるのは明らかで、加えてあまりにみすぼらしく、やはり我慢してもらうしかないと思うのだった。

しかしそうは言っても心配症なので、もし思わぬ事故に巻き込まれ今日自分が死んだとしたら、あのしょんぼりした後ろ姿が、最後に見た娘のシーンになってしまうのか、とか勝手な想像をしてしまうと、娘の主張を聞くべきだったかとか色々反省してしまう。であるから、できれば笑顔、もしくはいつもの顔で「いってきます」と言って欲しい。何があるかわからないのだ、出かける時に見る顔は、少なくとも悲しみにくれた顔にはしたくない。
思えば、妻のお腹の中にいた時は、とにかく生まれてくれればいいと思い。生まれてくれば、出来れば健康に育って欲しいと思い。元気に保育園に行き始めれば、素直にかつ行儀良くとか思い、小学生になれば、それなりに勉強と友達が出来ればとか思う、この止らない親の願望の連鎖は何なのか。ただ、やはり譲れないのは、すぐ怒る癖だ。物事が理想的に進行することなどめったにないという感覚は、ある程度年齢を経れば誰でも理解しているものだが、日々カーリングのように行く道をピカピカに磨かれて(磨いたのは僕だが)育った娘は、思うように事が運ばないと、それがそのまま感情の揺れに直結してしまう。ヒンヒン声で何やら主張している姿を見ると、テーマは我慢だなと思う。怒ったら負け。もしくは怒る場合は冷静に。それぐらいの思想を持って欲しいと、そればかり最近は思う。願望の連鎖が続いている。
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任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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