ゴル子

07 30, 2013
小学校で行われた夏祭りのルーレットゲームで、娘はメスのカブトムシをゲットした。弱りきったそのカブトムシは透明パックの中に入れられ、まるで生き物扱いされていない惨い状態だった。ほとんど動くこともなく、明日には成仏しそうに思われた。しかし娘は、早速カブトムシに「ゴル子」という名を与え、飼う気満々であった。家に気の利いた入れ物がなかったので、ゴル子はマクドナルドのハッピーセットでもらった空箱に移され、キュウリを与えられた。食べる気力があるのかと思ったが、ゴル子は猛烈な勢いでキュウリをなめ始めた。しばらく何も食べていなかったのだろう、実に見事ななめっぷりで、ほどなく頭部分はキュウリの中に埋没してしまった。娘は、カブトムシが夜行性ということに気を使い、暗い場所で餌を食べているゴル子をいつまでも凝視していた。
次の日、もう少しマシな環境でゴル子に生活してもらうべく、水槽などを買いにホームセンターへ行ったのだが、最近は土やら餌やら色々専用商品があって驚いた。思えばカブトムシを飼うなどという行為は、小学生以来と考えると約30年ぶりになる。それは商品も進化していよう、専用ゼリーやら消臭スプレーまで、よりどりみどりであった。ピカピカの水槽に腐葉土をたっぷり敷き詰め、木や枯葉をレイアウトするとハッピーセットの空箱とは雲泥の差であろうゴル子の家が完成した。既にゴル子はキュウリの力で随分元気になっており、掴むとかなりの力で抵抗し、新居に移すと勢いそのままに腐葉土の中へ潜ってしまった。食べたら寝るということか。
娘は夏休みの宿題で絵日記を描かねばならず、ゴル子の喜ぶ姿を描きたかったらしいのだが、ゴル子はいっこうに姿をみせず、そのまま冬眠ですか、という程に地上に出てこないのであった。「カブトムシ潜る」とかで検索してみると、同じような悩みを抱える方々が多数おられ、なんだか平和を感じた。そして実際メスはよく潜るようだ。特にいきなりオスを投入するとまず潜るらしい。そしてそれは、なんだか微笑ましい。ゴル子、君もそうなのか。
仕方ないので、娘はゴル子の水槽を前に資料を広げて、絵日記を描いていた。「出てこなくて残念だね」と僕が感想を述べると、娘は「疲れが溜まってるんだよ、久しぶりにお布団で寝る感覚なんだよ」と教えてくれた。実に愛を感じる答えだった。
しかし次の日の夜、ゴル子は再びその姿を見せる。購入した専用シロップには見向きもせず、キュウリをガンガンなめていた。ヘッドバンキングのような、そのなめっぷりは、見ている人を爽快な気分にさせた。娘もその姿を見てやたら満足そうだった。
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過去の作品

07 27, 2013
作品がどんどん売れていくわけではないので、作った作品のほとんどは家に在る。それらは、展示が終わると次の出番まで梱包されたまま、家の収納に順次埋もれていく。そしてその多くは、正直そのまま日の目を見ることなく眠りにつく。しかしそんな作品達に時々、起きてもらうこともあり、眠っていた作品と久しぶりに再会するわけだが、これが意外に新鮮で懐かしい。僕はひとつのシリーズを作り終えると、全く別のシリーズに着手することが多く、過去を忘れてしまう感じなので、5~6年前の作品を見ると当時の記憶が蘇る。そして、作品と生活が直結しているため、当時の生活も同時に思い出すことになり、自分を取り巻く境遇がその時期時期で、それぞれ変わってきたことが見えてくる。
そういう過去作品との再会というのは、次の展示に際し傷がないかを確認するために、梱包を解くことなのだが、まずは収納探検から始めねばならない。それは僕にとってかなりな労働になる。決して小さい作品でも軽い作品でもないので、小さい窓しかないその広くもない収納空間は相当に暑い。またドミノのように立て掛けてあるので、奥の方を取り出す場合、その前列から運び出さねばならず楽ではない。しかも狙った場所には別の作品があったりして、スムーズに進んだためしがない。(それらは全て自分のせいなのだが)しかしそういう過程を経て、箱の蓋を開け作品と対面する時「おお久しぶり」と思わずにはいられない。結局世間からはスルーされ、封印されることにはなったが、当時は「やばい、なんて傑作を作ってしまったんだ」という実に勝手な確信があったわけで、それなりの思い入れもあり、いいかどうかわからないが、やっぱり悪くないとも思え、それらが展示できることが単純に嬉しい。そして、そういう機会をくれた人に心から感謝したい。

ということで来月からグループ展に参加します。どうぞ、よろしくお願い致します。
8月6日から、詳細は以下のサイトをご覧下さい。
http://www.pakupakuan.jp/information/201308.html
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説明資料としての写真

07 08, 2013
写真を使って作品にするような人間なので、写真を撮ることは嫌なわけがなく、それなりに楽しい思いをしながらいつも撮っている。そして、その楽しさがどこにあるのかと言えば、それは写真になることで、何気ないものが何気なくなくなり、ただの光景がひとつのシーンとして確立する姿を、目視できるからだと思う。つまり大抵のものは、見た目以上の何かを秘めており、その見えない力を写真は引き出せるように思うからだ。なのでどうも苦手なのが、見たまんまのシーンを忠実にそのまま記録する、という主旨の撮影である。そこで必要とされることは、意図や偶然を全て捨て去り、ただその状況を説明するだけの資料として機能させることにある。しかし、写真というのは基本的に撮影者の意図の塊であり、自分が思う「見たまんま」が、誰もが思う「見たまんま」に繋がることはなかなかない。逆にその写真がどういう資料として使われるのかに合わせた都合を表現する方が、皆の思う「見たまんま」になることが多い。そういう撮影をしていると、どうも心が無表情になってくる。見るという行為も、いつもと同じ機能を使っているのに、全く別物のような気分になる。シャッターを切るタイミングにしても通常とは真逆といえる。感覚的な話になるが、何かが消えた時を狙っているのだ。光景には、たとえそこに動くものが無かったとしても、必ず何かしらの表情や気配があり、通常僕がシャッターを切るのは、レンズの向こう側にあるシーンの、その表情なり気配なりが現れたとか動いたと感じる時なのだが、資料用写真を撮る時はそれが反転する。なんとも盛り上がらない。もちろんこういう撮影は状況もシリアスなので、盛り上がってはいけないのだが、せっかく写真を撮るのであれば、そこに写される何かが、いかに魅力的かとか、いかに不思議か等々を写真にして、その力をさらに倍増させたいと思うのだが、それが余計なことなのだ。そういう撮影は、どうも疲労度が多い。気のせいか首の後ろがずっと痛い。
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予知能力の消失

07 03, 2013
日曜日に公園で娘とウンテイをしていたら、お互い汗だくになってしまい、そのまま近くの深大寺温泉ゆかりに行った。そこは多少お金がかかるものの、食べ物も充実しているし、タオルや部屋着も貸してくれるので、調度いいと思ったのだ。しかし、そこで問題が起きた。都の条例で小学校1年生から性別ごとに分かれての入浴が義務づけられた、と告げられたのだ。
娘は未だひとりで公共のお風呂に入ったことがなく、残念だがここは諦めるかと思ったのだが、意外にも娘はひとりで大丈夫だと言う。確かに今温泉に浸かったら気持ちよいだろうし、チャレンジャーな年頃でもあるので、まあいいかと思い、そのままひとりで女湯に向かわせることにした。ロッカーの鍵の使い方等くどくど説明したが、聞いているのかいないのか、大丈夫を連発するだけだった。僕の方は、もう娘と一緒にこの温泉には入れないのかと思い、気分は感傷的だったが、逆に娘の気分は、ひとり旅的高揚感でいっぱいだったのかもしれない。

時々通っている学童から、日々の様子を紹介するプリントが渡される。そして、その中に娘の姿を発見すると、僕が仕事なり何なりしている時に、娘も娘なりに色々なことをやっているのだ、という実にあたり前の事実を知る。それは事後的な感覚だが、あの日男湯に入りながら僕が思ったのは、自分が身体を洗う時に、今娘も身体を洗っているのかとか、自分が何かするたびに、いちいち娘の現在を想像して、小さい身体でたどたどしく行動しているシーンが脳裏をよぎり続けるのだった。そして、その想像は僕の中でかなり真実味があるように思えた。

しかし事実は違った。娘は僕の妄想とは裏腹に、早々に温泉に飽きたようで、さっさと上がって部屋着に着替え、黒蜜きな粉サンデーを注文し、雑誌を物色していたのだった。待ち合わせの部屋で、その光景を見た時、もう既に僕の知らない娘の世界が始まっていることを、なんとなく実感した。自分が思う娘の行動パターンは、もう想像の世界での娘でしかなく、現実世界の娘はそこから離れた場所にいるらしい。子供の成長に自分の想像力が追いついていない事実を突きつけられるのは厳しい。まだしゃべれもしなかった頃や、保育園の頃は、嫌になる程こちらの予想通りに失敗をし、予想通りに泣き出していた、規模は小さいが未来が予測できた。しかし、そういう僕の予知能力は、どんどん失われつつあるようだ。
「まだ小さいと思っていたが」という台詞がよくあるが、こういうことか、とひとり腑に落ちる時間を、湯上がり生ビールを呑みつつ実感し、想像上における娘の行動傾向を、これから修正せねばと思った。
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ここで娘は、黒蜜きな粉サンデーを注文していた。
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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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