相当な広さと深さを持った何か
03 31, 2013
娘のピアノの発表会に行った。厳密に言うと「おさらい会」らしく「発表会」というのはもっと大仰にやるものらしい。だからか、それなりにラフな感じではあった。しかし、スポットライトがあたるステージで、グランドピアノを弾いて、曲を披露する場であることには変わりない。さぞかし緊張するだろうと思いきや、みんなそれぞれ淡々としており、親の方が平常心を忘れていた。おさらい会だからか、同じ曲が何度も登場した。レベルによって曲が変わるということなのだろう。年齢と共にステップアップしていく過程がよくわかった。そして、小学校4年生くらいになると、クラシックを飄々と弾きこなす子供も現れ、素直に驚いた。ああいう子供は、自分がやっていることの偉大さを理解しているのだろうか。この「おさらい会」が終わったあとレセプションという名の飲み会があったのだが、子供達は皆一様にさわいでおり、その中に「クラシックを飄々と弾きこなす子供」も何人か混じっていたが、先程のオーラは消え去り、ただの幼い子供でしかなかった。
音楽の世界のことはよくわからないが、以前聞いたのは、美大は高校で自分が決心すればなんとかなるが、音大は幼稚園で親が決心しないとまず無理、というものだった。これが本当かどうか知る由もないが、確かに小学校でこんな子供がそこかしこにいるとしたら、この道の競争は厳しそうだ。自分が出来ないからより凄く見えるのかもしれないが、単なる練習曲ではなく、作曲家が作品として残した曲を、小学生がそれなりに解釈して演奏家的に弾きこなすシーンを見ていると、努力している子の強さというか、その経験値が将来役立たないわけがないと確かに思え、我が子の教育に血眼になる親の存在が、それなりに理解できてしまうのだった。こういう場で、たどたどしくなんとか最後まで辿り着く子と、堂々と鑑賞者を巻き込んで聞かせる演奏が出来る子の差は大きそうだ。ただ、これも素人の僕だから感心しているわけで、プロから見れば全く違う視点があるのだろう。世界的なコンクールの上位争いになると、その差異がどこにあるのか僕からすると謎でしかない。ただ思うのは、10歳前後の子供が出来ることというのは、相当な広さと深さを持った何かであって、大人が「子供だから」というレベルで軽蔑できる程度の何かではない、ということだった。
子供の吸収力は凄い。今日出来ないことが、今日の努力で明日には出来るようになる人間なのだ。それぞれの子供が、それぞれ個別にまだ眠っている能力を抱えていると思うと、教育の重さを思う。向いている何かが見つかるまで、もがくことは必須かもしれないが、向いているかどうかは別にして、がむしゃらにぶつかることで、突破できる壁があることを知っておくのは決して損ではなかろう。娘が弾くたどたどしい演奏も、それ以前の練習曲をクリアしたから、弾くことを許された曲なのだ、と思うと、下手でもいいから地道に続け、その都度小さくてもいいから、達成感を味わいつつ、また次へ進んで欲しい、と思うのだった。


音楽の世界のことはよくわからないが、以前聞いたのは、美大は高校で自分が決心すればなんとかなるが、音大は幼稚園で親が決心しないとまず無理、というものだった。これが本当かどうか知る由もないが、確かに小学校でこんな子供がそこかしこにいるとしたら、この道の競争は厳しそうだ。自分が出来ないからより凄く見えるのかもしれないが、単なる練習曲ではなく、作曲家が作品として残した曲を、小学生がそれなりに解釈して演奏家的に弾きこなすシーンを見ていると、努力している子の強さというか、その経験値が将来役立たないわけがないと確かに思え、我が子の教育に血眼になる親の存在が、それなりに理解できてしまうのだった。こういう場で、たどたどしくなんとか最後まで辿り着く子と、堂々と鑑賞者を巻き込んで聞かせる演奏が出来る子の差は大きそうだ。ただ、これも素人の僕だから感心しているわけで、プロから見れば全く違う視点があるのだろう。世界的なコンクールの上位争いになると、その差異がどこにあるのか僕からすると謎でしかない。ただ思うのは、10歳前後の子供が出来ることというのは、相当な広さと深さを持った何かであって、大人が「子供だから」というレベルで軽蔑できる程度の何かではない、ということだった。
子供の吸収力は凄い。今日出来ないことが、今日の努力で明日には出来るようになる人間なのだ。それぞれの子供が、それぞれ個別にまだ眠っている能力を抱えていると思うと、教育の重さを思う。向いている何かが見つかるまで、もがくことは必須かもしれないが、向いているかどうかは別にして、がむしゃらにぶつかることで、突破できる壁があることを知っておくのは決して損ではなかろう。娘が弾くたどたどしい演奏も、それ以前の練習曲をクリアしたから、弾くことを許された曲なのだ、と思うと、下手でもいいから地道に続け、その都度小さくてもいいから、達成感を味わいつつ、また次へ進んで欲しい、と思うのだった。

