行動パターン

09 27, 2012
勤めている会社には、大きな今風の社員食堂がある。それは限りなく並列で均一にならないよう、そこそこ工夫されており、外を見ながら個人で食べられるカウンター的な場所もあれば、早々に切り上げる忙しい人用の場所もある。統一感を排除し、個々の空間が意識できるようデザインされたのだろう、利用する人は多い。
僕は、その新しい食堂ができる以前の、いわゆる均一な空間に白いワイシャツが並ぶ中に入り込めず、自席で軽くすませるのが常だったのだが、先日、同じ部署のメンバーとその新しい食堂に行き、こういう空間だったら大丈夫かもしれないと思い、後日ひとりで来てみた。
結果、やっぱり馴染めなかった。複数でいれば何かしらしゃべるなり聞くなりしているので、周囲の音が気にならなかったのだが、これがひとりだと、そうはいかない。いくら空間が変わったところで、あの並列で均一な社員食堂的ざわざわ音には何の変化もなく、僕が苦手だったのは白ワイシャツが並ぶ空間はもちろんだが、音にも影響されていたことを知った。視界に関しては、意志で何を見るかは選択できるが、音はどうにもならない。まあ音楽を聞くとかいう方法もあるのかもしれないが、そこまでするものどうかという感じだ。結局時間をずらすしかないということで、再び自席で食べることになった。やはり静かで落ち着いた。自分がいつのまにか習慣としている行動には、意識されない好みが多々含まれているようだ。行動パターンは自身の意志以上に、周囲の環境に影響されてのことが多いと思っていたが、そうでもないようだ。
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09 19, 2012
新しいことをやると、それがたとえ下手でどうにもなっていなくても、とりあえず新しい視界を体験できる。今まで見たこともない風景を前にすると、何でもやってみるものだと思う。
10年ぶり位に海へ行き、そこでボディボードを初めてやった。もちろん波に乗れることはほとんどなく、波にのまれてもみくちゃにされてばかりだったが、それでも大きな力に身体が翻弄されるのは新鮮だった。沖に出て高い波を待つわけだが、せり上がってくる波は山のようで、その山と空だけの視界に漂っている光景は、見ているだけで充分興奮できた。
奇跡的に波に乗れると、視点が波と同じ高さのまま這うように進むので、それほど速度が出ているとも思えないが、やっている本人にはかなり高速に感じ、見かけ以上にスリルもあるのだった。こういうのが上手になると、それはそれで価値のあることだろうと思う。
その砂浜はサーフィンをやる人が多くきており、大きい波が繰り返し見事な音を出し、砂浜をざぶざぶいわせていた。その波を見ながらビールを飲んでいると、海に集まる人の(それは山でも同じかもしれないが)考え方がよくわかる気がした。そういう自然に出かけていくことがほとんどなかった自分の行動パターンを、素直に反省した。今回は妻の友人が誘ってくれて、伊豆の白浜海岸に来たのだが、ありがたいことにターフやその他海のグッズはほとんどその友人家族がそろえてくれた。ずっと晴れていたので、それらがなければ直射日光でヘロヘロになっていただろう。海に行くには必要な物が多々ある。
夜は民宿に泊まった。そこで美味しい食事をしアルコールが入ると、つもる話もあるだろうに、もう眠くて仕方なく、まあ寝てしまうのだった。身体を動かすだけ動かし、食べるだけ食べて、呑めるだけ呑み、寝れるだけ寝るということをしていると、それは健康になるだろうと思われた。夜中に目を覚まし、空を見たのだが、星の数が尋常ではない。いつもとは全く違う夜空があった。北海道のモエレ沼公園でも思ったことだが、スケールの違う場所で育つ人と、そうでない人では考え方がまるで変わってしまうと思えた。色んな知識を得るのもいいが、行動と体験を積み上げる大切さを実感した。
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考えるカエル

09 15, 2012
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北鎌倉のギャラリー

09 10, 2012
ホームページを見て作品に興味を持ちました、という主旨の嬉しいメールを頂き、その方が運営している北鎌倉のギャラリーへ行って来た。このあたりは縁遠くなったが、十代の後半は、ほぼ毎日ここを通る横須賀線に乗っていたので、それなりに懐かしい場所ではある。
きつい日差しの中、ギャラリーへ向かう地図を見ながら歩いたが、その目印が「大きな平屋」とか「4段の石段」など、なんだか普通ではない。そしてそこにあった平屋は本当に大きく、石段は様々な段数があるので、確かに「4段の石段」と書かれていると安心して進むことができた。その後、道はどんどん狭くなり、坂は急になり、ついに舗装された道が消えて、山道になってしまった。しかしそこからうねる階段を登ると、黒い壁とガラスで作られた瀟洒なギャラリーが出現したのだった。
この体験はかなり特異なもので「ここで発表される作品はインスタレーションが9割です」というオーナーの言葉がよく理解できた。確かにここで作品を見せるのであれば、過去の何かではなく、この場所から誘発された何かを作りたくなる。1階の3面が完全なガラス張りなので、壁は1面しかない。僕の場合ここしばらく平面作品ばかりだったので、どうするかを今後悩むことになるだろう。反射するガラスと黒い床と土の塗り壁は、正直もうそれだけで充分に完成されていて、作品の入り込む余地をどこに見いだすのか難しそうだ。もちろん過去の作品を置くだけではどうにもならない。
過去の展示作品等、参考になる要素はあるけれど、そのどれもを裏切りつつ、何が自分に出来ることか考えていたのだが、普段使わない頭をこね回したことで、なんだか妙に疲れてしまった。しかし、こういうことを考えているのは、実に楽しい。
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右側の道を進む。
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うねる階段。
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見せ方

09 08, 2012
緻密な作業が刺繍糸を通して明解に伝わってくる。丁寧な仕上げとよく練られた展示方法は、作品の小ささを見事にカバーして、見応えがある空間を作り上げていた。作品にスポットライトががっちり当てられていることで、見る方向を変えるたびに刺繍糸がチリチリと光り、思わず触りたくなる。糸を作品に使用する人は意外に多いが、ここまで密度を凝縮している作品は他に見たことがない。

「The Man - Machine (Reprise) 」青山悟(ミズマアートギャラリー)
糸では描写に限界がある。しかし平面的に分割された色面が、刺繍糸で縫い付けられていると、稚拙に見えそうな予想を覆して、全く新しい絵画的世界が体験できる。刺繍のことは詳しくないが、これは刺繍の世界では珍しくないのだろうか。
僕は伊藤存の、やりっぱなし的見え方がどうにも馴染めなかったのだが、青山悟の作品はどこまでも容赦なく完成されていて、非常に気持ちよい。その表裏を合わせるべく考案された見せ方も、バランスよくデザインされており参考になる。この人の作品を色々な場所で見たけれど、必ず何か素直でない展示手法が試みられていて、飽きさせない。
見せ方ばかり気にして、作品の持つコンセプト等々に視点がいかないのはいけないことだが、思いもしなかった展示手法というのは刺激的だし、本物を体験できてよかったと素直に思える。今回も実物のミシンが置かれていたり、その他の工夫が随所に見られ楽しめた。

例えば、杉本博司のコストがかかったプレゼンテーションは、ほとんどエンターテイメントだが、もちろんそこには、最大限作品を堪能してもらおうという精神と、作品が発している力を周囲が阻害しないように、細心の注意が払われているということでもある。それは作品を見せる側の大切な心配りに他ならない。展示空間全体を見渡す、入り口から入って数秒の意識に気がついている人と、そこに全く興味がない人がいる。青山悟はその数秒をかなり厳密に計算していると思われる。長時間工業用ミシン針の先を見続けた気合いが、空間全体にも行き届いていた。今月29日まで。
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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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