坂道

07 17, 2012
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リュックに風船を付けると、軽く感じるらしい。
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友達

07 13, 2012
大津市で痛ましい事件があった。去年のことだったらしいが、問題が露呈しメディアがそこに加わり、全貌を明らかにすべく、遅すぎる気もするが警察も介入した。いじめがあったのかなかったのか、たぶんそんなことは現場にいた生徒達にとっては自明のことだし、亡くなった生徒さんのご両親にしてみれば、何をいまさらという展開だろう。最近、加害者とされる少年の画像もネットに流出した。その顔を見るとその幼い表情に驚く。うんざりするような行為を、こんな子供が強制していたのかと思うと、なんとも脱力する。

「少女」湊かなえ(双葉文庫)
対象となった少女は「迫害」という言葉を使っているが、ここでもいじめが描かれる。いきなり遺書として書かれた文章から小説は始まり、これを書いたのが誰なのか、徐々に明らかになるが、たぶんそこは本筋ではない。「死」を安易に考えてしまった女子高校生が、その重さに気づかず、自分たちのしでかした事の重大さに、最後まで真摯に向き合わない怖さが重要なのだろう。友達が何を考えているのかばかり心配している割に、仲間以外の人間に関しては人を人と見なさない冷酷さは、物語とはいえ恐ろしい。

僕は友達といえる人が少ない。幼少時から深く人と付き合うことを恐れていたのだろう。もういい年齢なので、そういうことで頭を悩ませることはないが、中学生位までは結構苦労した。たぶん問題なのは、友達を欲しいとそれほど思っていなかったことだ。理由は単純で、好かれるとか嫌われるという問題から逃避したかったのだ。ひとりであれば、変なすれ違いで気をもむこともない。もちろん、それがよくない考えであることは承知の上だったが、まさかそれが軌道修正されないまま成人してしまうとは思ってもいなかった。当然だが、今でも友達は片手で足りる。これは明らかに選んだ生き方の問題で、仕方ないと思っていた。
しかし、それは何歳からでも改善すべきなのだ。やはり独りの世界は狭い。何か事を起こそうと思えば、かならず他者の力が必要になる。そしてその他者と交わることで磨かれるリアルな経験以上に自分を広げる技は、そうあるものではない。さすがに友達を増やすことは困難だが、仕事などを通して信頼できる人間関係を築かないことには、物事が進まない。
昨夜、作業をしていたら、娘が泣きながらスタジオに入って来た。一緒にいたいということらしい。人と一緒にいることの安心感は本能のひとつなのだろう、それを否定してはいけないのだ。娘にとって、今はその存在が親なのだろうが、それが友達になり恋人になり、と変化していく姿が自然なのだ。独りで居続けるのは、やはりどこか歪んでしまうように思う。

いじめられている人がいたら、とにかくなんとか耐えて欲しい。もちろん解決の糸口が見つかればそれに越したことはないが、それは大抵難しい。ただ、世界はそこだけの存在ではない。想像以上に広いものだ。たぶん数年後あなたは全く別の場所にいるだろう、環境が違えば世界は一変する。それだけは信じていいはずだ。
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Morning green

07 10, 2012
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夏祭り

07 08, 2012
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正解とは

07 05, 2012
芸術は正誤の判断ができない。そこでいかにこの作品が正統な流れにあるかを、美術史や作家の活動歴、受賞歴を使ってその作品はアピールされ評価される。もちろん作者の方には完成に至る途中で、目の前の作品が正しいかそうでないか、という問いがないわけではないが、あまりそこにかまけていると前進できない。ある地点まで来たらそれまでの実感を信じて、アウトプットするしかない。判断はその後の問題になる。ただやはりそこには、それまでの苦労が報われるような価値が伴って欲しいと思うのは人情だろう。しかしなかなかそうはいかない。傑作としか思えない自分の作品が、全く話題にされないという体験は、作家であれば何度もあるはずだ。そして思う、芸術にも正解という明確な答えがあれば、このもどかしさが消えるのではないかと。

「完全なる証明・100万ドルを拒否した天才数学者」マーシャ・ガッセン(文春文庫)
数学は芸術とは違う。そこには正解という真実が明確に存在している。しかし、その問題があまりに難解すぎて、一般人にはその問いすら理解できないような超難問になると、正解がどこにあるのかその判断自体が困難になる。幾何学上の最難問といわれたポアンカレ予想「単連結な3次元閉多様体は3次元球面Sの3乗に同相である、という命題を証明せよ」もそのひとつだ。もちろんその問題自体が一般人には到底理解できない。歴代の天才数学者達ですら歯が立たなかった。しかしその先人達は破れたにしろ解決の糸口はいくつか見つけ出しており、それらの要素をヒントに次世代の天才達が再び挑戦するという構図が、いわゆるミレニアム問題※にはある。
その超難問を証明したという人物が2002年に現れた。彼はそれを数学界の重鎮達に11月12日の朝5時、次のような唐突なメールで伝えた。「リッチ・フローに対する単調性公式を与える。それは全ての次元で、しかも曲率についての仮定なしに成立する。これは、ある種の標準的な集合のエントロピーとして解釈しうる。さらに~」という書き出しでいきなりその要旨が述べられているのだが、そこには「ポアンカレ予想を解いた」というヤボな言葉はどこにもない。しかし、数学の世界に住む方々は、これでポアンカレ予想の証明に繋がるという匂いを察知できるらしい。急遽そのメールは世界中を駆け回り、多くの数学者によってその要旨の検討が始まる。メールをした本人、ロシア人のグレゴリー・ペレルマン(当時36歳)も数々の講演を行い、その証明を説明する。
つまりこのレベルになると、新しい道筋を見つけただけでも驚愕に値するようで、完結という着地点が曖昧らしい、というか誰もその証明が理解できないわけだ。 2004年になってどうやら正しいらしい、ということが確認されたが、2006年には中国人がこちらの証明が最終的なものだという主張を始め、そこにハーバードの有名教授が後ろ盾に付き、、とさらに混迷を極めるのだが、2008年ミレニアム賞※は、正式な証明はペレルマンにあるとして、その受賞に相応しいかの検討に入り、2010年3月ペレルマンのミレニアム賞決定が発表される。しかし、その授賞式に彼は現れず、賞金の100万ドルも無視されてしまった。何があったのか。

ペレルマンは今、母親の年金で隠遁生活をしているらしい。ウィキペデアによるとキノコ狩りが趣味らしい。人前に姿を見せることはほとんどないようだ。彼は幼少の頃から天才ではあったにしろ、人当たりもよく普通に人間関係を築ける人であった。彼の人間性や数学に対する真摯な態度、無欲な純粋さは本書に事細かに記述されており、数学界が突然のメールに騒然となったことも、ペレルマンからのメールだったからであり、彼であれば本当に解けたのかもしれないと多くの数学者が思ったからで、その「信用」がいかに厚かったかが見受けられる。ミレニアム問題を解いた彼には、様々なポストのオファーが舞い込み、数学界のノーベル賞というフィールズ賞も決まった。しかし彼はその全てを辞退してしまう。理由として、自分の証明を純粋に理解して欲しかったということらしいのだが、あまりにもその問題は難しすぎ理解できる人がいなかった。例えば「あなたの作品は全くわからないけれど、何か凄いことらしいからこの賞金を受け取ってくれないかとか、あなたの作品を一度も読んだことがないけれど、素晴らしいらしいから我が校の教授になってくれないか」と言われたらどう思うだろうか。メディアにあることないこと騒がれ、まるで賞金欲しさに問題を解いた印象まで付いて回った結果、ついに彼は数学に絶望してしまう。純粋だった数学の世界が世間に揉まれ、醜く歪んでしまったようだ。
たぶん芸術家にこういう人はいない。賞を辞退する人はいるだろうけれど、彼のような孤独を味わう人は少ない。それは厳密に正解があるがゆえのもどかしさなのだろう。作品を作ることと、数学の問題を証明することの比較に意味があるかは不明だが、ある可能性を信じて歩くという行為には共通性があるように思われる。その先が真実なのか落とし穴なのかは歩く本人だけが味わう経験なのだ。作品と向き合う時、自分は一体何をしているのか、この何はどこに繋がるのか、色々想像してみるが、結局は何もわからない。ひたすら歩みを進めるしかない。

※数学のミレニアム問題(7つありポアンカレ予想はそのひとつ)を解いた人物に贈られる。以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%A0%E6%87%B8%E8%B3%9E%E5%95%8F%E9%A1%8C
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任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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