途中の記憶

04 17, 2012
京都行きにはもうひとつの目的があり、それは藤井大丸7階のくちばしニュートロンで開催されている、自分の展示を観るためだった。搬入をギャラリーにお任せしていたので、完成したシーンをまだ観ていなかったのだ。想像していた通りとはいえ、やはり自分で作業をしていない分、なんだか作品との距離を感じた。途中の記憶が抜け落ちたまま、目的地に到着してしまった気分とでもいうのだろうか。確かに自分の作品なのに、どことなく他者の意図を感じるのであった。搬入は、作品を設置することで空間を作る作業なのだが、今回の展示に関しては、僕の指示ではあるものの、実際に空間作りを経験していない分、作品は僕の作品だが、空間は僕の空間ではないような感覚だった。ただそれは、非常に個人的な印象であって、僕以外の人にはなんら影響を及ぼす要素ではないと思う。
今週の19日木曜日までです。ご高覧のほど、どうぞよろしくお願い致します。
IMG_6303.jpg
IMG_6307.jpg
http://www.galleryneutron.jp/KUCHIBASHI/mini_gallery.html
0 CommentsPosted in 展示

握手

04 16, 2012
心残りはあるものの昼までに仕事の目処をつけ、残りは月曜日に回して勢いそのままに新幹線に乗り、先日京都へ行って来た。東京を離れる程にしがらみも剥がれていく感じが気持ちよかった。周りは仕事中のビジネスマンだらけだったけれど、まあいいかと思いビールを呑んで、さらに気分は高揚し心が解放されていくのだった。いけないと理解しつつもその緊縛を破る行動は、正直楽しい。

あるイベントに参加すべく、四条にあるアバンギルドへ向かった。雨だったが、木屋町通りの桜は見事で京都感が高く、歩くだけでも充分満たされる場所だった。そのアバンギルドは本当に魅力的な空間で、そこで行われたイベントやライブも非常に面白く、ここに来て良かったとひたすら思った。特に、歌を人の声で聴くという重要な感覚を思い出した。長谷川健一さんという方だったが、もうずっと聞いていたかった。

僕はそこで行われたシンポジウムのパネリストとして参加した。積極的にしゃべる方々の中、ほとんどいるだけの状態だったが、もともと普通でないパワーの持ち主であるメンバーのトークを間近で聞いていると、それだけで力をもらえそうだった。とにかく、現状を打破しようとする行為を遮断する逆風は、常に吹き続けているけれど、どんな状況であれ行動を起こす人は起こすのだ。それは普段自分が関わっている全ての事にも通じる。現状に嘆いている暇があったら、次の行動を起こすしか解決方法はない。この当たり前がなかなか出来ない。僕は日本のアートシーンを牽引して行くようなキャラではないが、少なくとも自分のアートは常に更新していく作家ではありたいと思った。パネラーの方々とトーク後に握手したのだが、その手の質感が気持ち良かった。あんまり普段握手することがなかったせいかもしれないが、忘れてはいけない感覚だと直感した。もしかすると、このために僕は京都に来たのかもしれない。

トークショーの時にアルコールを呑んだらいけないのかと思っていたが、みんなガンガン呑んでいたので、僕も呑んだ。思えば昼からずっと呑み続けていて、それは打ち上げでも続き、明け方どこかの店で、店長さんが「もうビールは無くなってしまいました」と謝っている場面を、僕は朦朧と眺めていた。行動する方々のパワーをここでも見せつけられたのだった。
http://www.galleryneutron.jp/event/neutron_night2.html
0 CommentsPosted in 展示

いたずら魂

04 11, 2012
ある程度有名な人の展示を観る時「きっと○○な感じだろう」と想定するのは仕方ない。それはその○○が社会的認知を得ていることで、有名というわけだからだ。つまり、その人の固有名詞を裏打ちする作品イメージがあるかないかで、展示を観る前の心構えは随分違うものになる。

「望郷 TOKYORE[I]MIX」山口 晃(メゾンエルメス)
緻密な描写ブームの牽引役で知られる人だ。日本古来の画風に現代的エッセンスをちりばめる手法で、絵画の地平を広げている。馬とバイクを合体させたイメージを想像する人も多かろう。僕もそう思って、あの入り口をドアマンに開けてもらい(僕はどうしてもこの文化に慣れることができない)8階へ登った。細かいウィットが効いた世界観のある平面作品が、あの空間にどう配されるのか想像し、その差を確認をしようと思った。
そして、鮮やかに裏切られた。一瞬の違和感がじんわりと快感に変わる喜びを再確認した。事前情報を知らなくてよかった。しかし、事前に作風イメージを知っていてよかった。このギャップが気分を高揚させる。ここではその展示作品の描写は避けるけれど、足を運んで実物を観にくる人に、驚きを提供できるかどうかは、作家の力量指針になるだろう。こんなことも出来るのか、と思わせる重要性を知った。
実は、この展示はたまたまそばを通ったから観た。本当は杉本博司の展示を観に来たのだが、こちらはあまりにも想定内で、凄いのだがあまりにもそのままだった。しかしこれは有名すぎる宿命であって仕方のないことだ。
その後だったためかもしれないが、山口氏の展示作品は、あまりにもイメージと異なり、彼の力の深さを実感した。マニアックな描写技術の裏側にある、遊び心をモロにぶつけられ、ひたすら感心していた。もちろん想定内的平面作品もあり、変化球後の直球で思わずつられてしまう効果もあったが、今回の圧巻は、メイン空間の使い方にあると思われた。あの空間をある意味スタイリッシュにダサくできる力に、やられたと思う人は多いだろう。今までこの人の凄さは、その描写力にあると思っていたが、それは間違いで、どうやらそのいたずら魂にあったようだ。5月13日まで。
0 CommentsPosted in 展示

Cherry tree

04 10, 2012
IMG_6201.jpg
0 CommentsPosted in 写真

錯覚

04 07, 2012
冗談のように仕事が詰まってきて、身動きがとれなくなり少々戸惑ってしまうのだが、こういう時にいいのは桁外れなアートへ思いを馳せるに限る。荒涼とした空間(ニューメキシコ州カトロン郡の砂漠)にステンレスの棒を均等に埋め込み、雷が落ちるのを待つ作品とか、地中に1キロの長さで棒を埋め込んだ作品(見えるのはほんの少しの先端しかないゆえ、ほとんど認知できない)とかだ。こういう実在しつつも伝説のような作品は、写真でしか見れない。そこへ行くには、海外へ飛びレンタカーで4時間以上走らないと辿り着けない。たぶん実物を見る時間は一生取れそうにない。しかもたとえそこへ着いたとして、タイミングよく雷が落ちる程現実は甘くない。事実その棒への落雷は17年間で9回だそうだ。こういう人間を中心とした時間を無視する作品の壮大なコンセプトを思うと、自分が引っ掻き回されている仕事の規模との落差を実感できて笑えてくる。ウォルター・デ・マリアの作品は直島でいくつか観たけれど、できればいつか、ギャラリーを土で埋めた「アース・ルーム」ぐらいは観たいと思う。頭で理解することと体験することの差は、限りなく大きいのだ。身動きを縛る要素が、世界の全てのように思えてしまうが、それは大きな間違いだ。
PH2009081301338.jpg
de_maria_earth_kilometer.jpg
walter-de-maria-broken-kilometer.jpg
画像:http://theredlist.fr/wiki-2-351-382-1160-1122-view-usa-profile-de-maria-walter.html
The_New_York_Earth_Room_1977_.jpg
画像:http://tsuchiyastudio2011ma.blogspot.jp/2011/05/new-york-earth-room-1977.html
0 CommentsPosted in 仕事
プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ