虹のハンモック

12 24, 2011
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遊べるのは小学生までです。


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ケルヴィン=ヘルムホルツ不安定性

12 21, 2011
こんなことをやっているのは自分だけだろうなと思っていたが、実はもっと科学的に数学的にその動きを解明しようとしていた人達がたくさんいて、驚き励ませれつつも、自分の井の中の蛙ぶりを知るのであった。

「流れ」フィリップ・ホール(早川書房)
ダ・ ビンチのスケッチに、水流を描いたものがいくつかある。それは水の動きの共通性と複雑性を同時に捉えようとした、苦労が滲む興味深いもので、色んなところで目にする。動的平衡2でも最初にとりあげられていた。本書にもいきなり冒頭で登場する。いったいいつまでダ・ビンチは人間を翻弄し続けるのだろうか。
流体力学に詳しいわけではないが、僕は水流をベースにした作品を創っており、そこでどうしても捉えたいシーンがいくつかあった。その動きを再現すべく苦闘していたのだが、もう名前まで付いていた。どうやら「ケルヴィン=ヘルムホルツ不安定性」という剪断流動現象だったようだ。19世紀の物理学者ケルヴィンさんとヘルマンさんが研究していた。ただ、その生成過程がわかったところで、再現できるわけではないし、そのまま作品になるわけでもない。ただ、その原理らしきものを教えてもらえるのはありがたい。

まだ本書を読み始めたばかりなのだが「そうだったのか」という思いの連続で、嬉しいやら悲しいやら複雑な思いが交錯してしまい収集がつかない。無知の恐ろしさを思う。
同じシリーズで既に「かたち」という、自然現象が作り出す模様やパターンの数理を紹介する本があり、それにも驚いた。エルンスト・ヘッケルが描いた海洋生物のスケッチは、僕にとって完全にアートそのものだった。自然を描写しようとしている方は、一度見た方がいい。その観察眼と観念形態が融合した得体の知れないクラゲのスケッチは、研究資料というより、純度の高い「作品」という名がふさわしいように思う。

科学や数学に興味はあったものの、義務教育以上のレベルになると、僕にはそれを理解する能力がなく、美術の道に踏み込んだのだが、いまこの歳になって、もし当時にその力があったら、何が出来ていただろうか。意外にジャンルは違えど、同じような現象に目を奪われていたかもしれない。アートはそういう意味で非常に可能性が広い。

最近知りたいことは、科学や物理学の中に潜むのかと思い、専門書を立ち読んでみるのだが、残念ながら、これは日本語なのか?と思うほどチンプンカンプンなのであった。
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動的平衡

12 20, 2011
よく知られている事実だが、チンパンジー とヒトのDNAは98%同じらしい。ではその差である2%を修正すればチンパンジーはヒトになるかというと、そうはならない。それは遺伝子に含まれている スイッチが入るタイミングが違うかららしい。ヒトが大人になるまでの期間は、チンパンジーに比べて長い。つまり、成人になるための遺伝子が発動しないことで、雌を奪い合うことがなく、そのため性格が穏やかになり、警戒心を解き、柔軟性に富み、好奇心に満ち、探索行動が長続きするのではないか、子供時代が長いことで、学びと習熟の時間が充分に取れたのではないか、という仮説があるそうだ。

「動的平衡2」福岡伸一(木楽舎)
生物学の本だが、美術の話から始まる。名和晃平や宮永愛子が出てくる。どうしてこの人はこうも魅力的な導入部を作れるのかと思う。義務のように購入した。 制作行為は、個人的発想が発端であることが多いが、基本的に作家達は皆そこを通して、普遍的なモノを掴もうとしている。それは数学でいう未発見の定理であり、生物学では遺伝子や生命の解明という行為に近いと思う。つまり何かの真実を知りたいという共通の思いがそこにはある。

筆者の「動的平衡」というその定義は「それを構成する要素は、絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれる系」というものである。形を保つために形を常に壊し続ける。完全な構造を維持するのではなく、わざと解体しやすい構造にして、柔軟に環境に対応し続ける方が、最終的には生命の繋がりが壊れにくい、という概念だ。これを視点を変えて説明すべく芸術が登場する。理解しにくい内容でも、魔法のように話が透きとおる。

DNAとは楽譜のようなものらしい。これはつまり運命が決まっているということではなくて、どう解釈してもいいということ。演奏者が変わることでその曲がどうにでもなるように、自由であるということ。動物行動学者リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』(遺伝子は徹底的な利己主義者である。自らを複製するため、遺伝子は生物の個体を乗り物にしているにすぎない)に本当にそうなのかと著者は疑問を挟む。生理的な欲求には確かに遺伝子の命令がある。しかし、その命令に私達は背くこともできる。思うように行動できる自由がそこにはあるはずだ、と著者はいう。パリの音楽祭でバッハのゴルドベルグ変奏曲が演奏された時、 DJやドラムが入り込み、クラシックのバッハは吹き飛んでしまったらしいが、流動しつつも曲としては変わらない。著者はこれこそが「変奏曲」であり動的平衡そのものだと実感したようだ。そういえば少し前にカノン・ロックが流行ったが、あれが面白かったのは、もちろん速弾きテクニックの素晴らしさもあったが、やはりもとのハッヘルベルのカノンが名曲だからだろう。音楽のように自由である遺伝子というのは、確かに許容範囲が広そうだ。その他にもガン細胞が存在する理由、本当に地球温暖化が二酸化炭素排出量の増加が原因なのか等々、噛み砕いて考えてくれている。著者の柔軟なバランス感覚は、まさに動的平衡で、ずっと話を聞いていたい感じだった。

誰でもそうなるだろうけれど、鴨長明の方丈記を思い出した。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

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ocean sunfish

12 17, 2011
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Pirarucu

12 16, 2011
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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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