自制心

11 22, 2011
やるべき仕事は明確な状態で残っているが、どうしても手をつける気になりません。という思いは、多くの人が共感できるのではなかろうか。歴代の偉人達も先延ばしという名のいいわけを数多く残している。動くべき時に動けない、という矛盾した思いは「自制心が足りないからだ」と総括される傾向があるが、そもそも自制心とは何なのか、自分で自分の行動をコントロールするとはどういうことか、を本気で哲学しているのが本書である。

「なぜ意志の力はあてにならないのか 自己コントロールの文化史」D・アクスト(NTT出版)
ほとんどの喫煙者は煙草が害であることを完璧に理解しており、またやめたいと思っており、かつ禁煙体験があるらしい。しかしやめることができない。ダイエット関係も同じような類いだ。
人間の欲望は、近い快楽に弱いようだ。例えば「明日100万円あげます、でも1ヶ月後だったら120万円あげますよ。どちらを選びますか」という調査をすると、多くの人はその1ヶ月が待てないので、明日100万を選ぶらしい。しかしこれが「1ヶ月後100万、2ヶ月後120万」だと今度は逆に2ヶ月後120万を選択するようだ。つまり、その快楽が遠くなればなるほど正しい判断ができるわけだ。問題はその快楽が手の届く範囲にある場合に、なぜ自制心が効かなくなるのか、ということになる。我慢は子供に限らず大人でも深刻な問題だが、やはり子供の頃にその我慢を覚えておくと、その後の人生も変化するらしい。本書には個々人の成長過程で、どう自制心が変化するかを調査しているが、子供の頃は我慢できなかったが、大人になって突然それができるようになった、ということはほとんどないらしい。初期の教育がどうも重要なようだ。

周囲の快楽に惑わされないので、自分には自制心がある、と豪語する人がいるかもしれない。しかしどうやらそれも危うい。何かを判断するにあたり、その判断がいかに直前の体験で左右されるかをテストするプライミングというものがある。例えば、無礼で行儀が悪い言葉をさんざん聞かされた被験者は、礼儀正さと関連する言葉を聞かされた被験者に比べて、その後の会話で相手をさえぎる回数が非常に多かった。また、言語テストを装って老いに関する典型的な言葉をたくさん聞かされた人達は、実験が終わって部屋を出て行くとき、廊下をとぼとぼ歩くらしい、まるで老人のように。

どうやら自制心はあてにならないらしい。ではどうしたらいいのか。本書には、地道に先手を打つことが大切と書いてある。例えばポテトチップを食べる量を減らしたいなら、袋から直接食べるのではなく、半分だけ皿に出して残りは先にしまうとか、一見面倒だがそういった細かな努力を習慣化することで、その負担はどんどん軽減していくらしい。自制心をあてにせず、先回りしておくこと。弱い自分を意識して、やばい自分が顔を出さない工夫をしておくこと。何事もいきなりは出来ない。小さな一歩をまず始めることだ。そうだ。
意志力は筋力と同じらしい。鍛えることで強くなる。多くの宗教が定期的に行う祈りのような禁欲的な時間もそれと関係しているのかもしれない。以下は、ウィリアム・ジェームズの言葉(要約)
毎日ちょっとした練習を行って、努力する力を維持しなさい。とくに必要がない場面で立派な行いを続けるとか。この種の修行は保険のようなものだ。保険は問題がなければ役に立たないし、あるいは一生、見返りがないかもしれない。だが問題が起きた時はそのおかげで救われる。日々集中力を養い、意志を鍛え、禁欲を実行している人も同じことだ。何かが起こり、何もかもが揺れ動いて根性のない人々が、もみ殻のように吹き飛ばされる時、その人は塔のように堂々と立っているだろう。

もちろん僕も目先の欲望に連敗し続けている。だからこれを読んだ。本書は、依存症の問題や罪悪感と屈辱感の関係など、興味深く様々な意識の問題に切り込んでいる。良書だと思う。

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water

11 21, 2011
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地元意識

11 20, 2011
僕は小学校2年から大学に入るまでの12年間を横須賀で過ごした。ここが地元ということになるのだろうけれど、自分の街という感覚がない。そこは個性に欠ける場所でもなく、それなりに面白い地域だったのかもしれないが、帰郷心理も特にはない、もちろん自分がその土地に縛り付けられている感覚もない。

「ザ・タウン」ベン・アフレック(2010年アメリカ)
なんとかこの街を抜け出し、新しい生活を始めたいと願う若者の話。ただ彼は、地元密着タイプの仲間と銀行強盗を生業としている。別にそういう仕事でも出て行く分には可能なのではと思うが、そうもいかないようだ。恩がある仲間や、ネタを提供する黒幕がそれを許さない。お前は父親の代から生粋の銀行強盗なのだから、ということらしい。確かに伝統芸能のように仕込まれた、その強奪テクニックは見事極まりなく、そうやるとFBIは混乱するのかという必要ない知識を頂けて、正直感心してしまった。
どういう技を父から受け継いだのかという描写はないが、親からの教えというものは、子にとっては善悪の何かではなく、無条件に聞き入れる特別なもので、その後の生き様を左右する要素だろう。主人公は頭もキレるし酒をやめるといった自制心もあり、親と環境が違えば、もう少しマトモな人生を歩めたかもしれない。ただ、人間はそれぞれその場所で力を出して生きねばならない。主人公が黒幕との最終対決で見せる行為は、やはりその筋の思考を象徴しているように思えた。

環境がどれだけ人を縛るものなのか分からないが、仲間がどういう人なのかは重要だろう。クリスチャン・ボルタンスキーが、「どうすればあなたのようなアーティストになれるのか?」という質問に、「どういう作品を作るか以前に、どういう友達がいるのかが重要だ」と応えていたのを思い出す。どこで生きるにしろ、大切にしたい関係を作り続ける努力が必要なのだろう。別に出身地が地元ということにしなくてもいのだ。

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11 17, 2011
ジェダイ・マスターとパダワンの関係には、様々な確執があるのだろうが、その1対1という師弟関係の在り方は、特殊な技術を受け継ぐ間柄として、とても正しいと思える。 平均的なマニュアルで仕事をシステム化し、機械的に仕事を繋げるやり方には限界がある。

作品の仕上げをお願いしている外注さんに、対応が迅速で細かな融通がききコストを親身に心配してくれる匠のような人がいて、大きな信頼をよせていたのだが、ついに定年を迎えられた。匠は姿を消したけれど、同じ会社に発注するわけだから、完成度に差はなかろうと予想したが、残念ながらその差は歴然としており、今後の発注を考えねばならなかった。ただ、やり直せば大丈夫だし、なによりコストの問題が大きかったので、結局今回もお願いして、先日そのチェックに行った。すると、あの定年退職したはずの匠が大声で仕事をしている。「ああどうも。また頼まれて復帰したんですよ」という。色々問題があったのだろう。そして、この人でなければいけないという仕事が、やはりあるのだなあ思った。いかにも今風の若い社員が丁寧に対応してくれ、作品の仕上げをみせてくれた。問題のない完成作品になっていた。

匠はこれからその若い社員に、仕事を教えていくのだという。そして覚えてもらったら、私は用無しでしょうね、ははは。と笑っていた。匠の復帰がいつだったのか聞き忘れたが、僕がいるその間にも次々と仕事が来ており、繁盛していることが伺えた。
匠は僕の仕上げオーダーを記憶しており、僕が2回目に顔を出した時、既に名前も覚えていてくれ、フレンドリーに接してくれた。接客業のプロはそうなのかもしれないが、有名作家の出入りが多いであろうなか、僕のような無名作家を同等に扱ってくれるのは嬉しかった。これから、あの若者が師匠の教えを体現していくのだろう。結局、人と人の繋がりが強固な信頼関係を作るようだ。その道では知られたあの会社のブランド力は、匠を復帰させたことで、再び活性化されるのだろう。

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父の記憶

11 15, 2011
個人的な話で恐縮だが、僕の父はある事故で意識不明になり、結局そのまま回復することなく亡くなった。ただ、ひと月ほど植物状態で生きていた。時間が経つ程、その衰弱ぶりから死が予想され、その時への覚悟を強いられた。

「ヒア アフター」クリント・イーストウッド(2010年アメリカ)
死者と会話できる能力を持ったマット・デイモンが、それゆえに苦しむ話。彼としては、その力を封印し普通に生活したいのだが、その能力が本物であるゆえ、周囲がほっておかない。そんなに死者と会話したい人がいるのか、という疑問はあるが、事故死などで大切な人を一瞬で失った方々、つまりは「さようなら」の準備ができていない人にとって、その突然の別れは、まず受け止められないものだろう。故人から自分へのメッセージが何かないのか、と思う気持ちもわかる。映画では、マット・デイモンが伝える故人の言葉に、残された人達は涙し、おさまりよく話は終わるが、もちろん死んだ人は還ってこない。

冒頭にもの凄い津波のシーンがあり、いやおうなく3.11を思い出す。あの震災で亡くなった人は尋常な数ではない。事情は様々だろうが、亡くなった方々それぞれが最後に伝えたかった無念のメッセージが、言葉にされないまま漂っていることを思う。
無意識のまま呼吸している父の横に座りながら考えていたのは、そんな一瞬の出来事で父の記憶が全て消えてしまうものなのか、ということだった。思い出も何もかも無かったことにされてしまうのが非常に悔しく、しかし僕に出来ることは何もなく、手術の傷跡が痛々しい頭を見ながら、ただ横に座って話しかけつつ、手を握るしかないのだった。

死を前にして、父の意思ある言葉が一切聞けなかった身内としては、父に日記の類いがないことが残念だった。映画のような直接的なメッセージでなくても、大切に思う人が何を考えていたのか、残された側は知りたいものだ。いまさら理解したところで遅いのだが、それでもその人を偲ぶにあたり、言葉が持つ意味は大きいと思う。

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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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