注射

07 31, 2011
娘に日本脳炎2回目の予防接種(これは計3回やらないといけない)を受けさせるため、かかりつけの小児科へ。かわいそうな事態になることは目に見えているが、お出かけという微妙な言葉で連れ出す。現地着「なあんだお薬なくなったんだね」という言葉にすまないと思う。注射器を見て「この前やったね」と僕を見る、すまないと思う。予想通り激しく抵抗し、なんとも悲しそうに泣く。明らかに手際がいい先生なので、それ程の痛みもなさそうなのだが、やはりあの注射器そのものが恐怖を喚起させるのだろう。それとも親にだまされたことが辛かったのだろうか。ご機嫌直しのシールをもらっても「この前と同じ」と却下していた。その後も何人か予防接種が続き、病院は様々な泣き合戦になった。しかし、これを受けることでその病気を回避できるのだ、仕方あるまい。全く記憶にないが、僕も幼い頃そういう注射をされただろうし、何かの恩恵を受けたければ、我慢せねばならないこともあろう。
甘いなあと思いつつ300円の花火を買う、一気に機嫌が反転する。「青い火と白い火が出るんだね、凄いね」と何度も確認している。が、たぶん今夜は雨なのだ。「晴れてたらやろうね」と何度も確認する。コクコク頷いているが、聞いてないだろうなあと思うのだった。
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07 29, 2011
僕は東京都調布市に住んでおり、周囲の空き地には次々に新しい家が作られている。限界まで分割された土地に建つ、庭のない1階が車庫を兼ねる3階建てタイプの家が目立つ。これは東京の典型的な傾向らしい。

「家の外の都市の中の家」東京オペラシティーアートギャラリー
アトリエ・ワンの自宅兼オフィスである「ハウス&アトリエ・ワン」や西沢立衛の有名な「森山邸」、北山恒の「祐天寺の連結住宅」がメインに展示されている。3作品の共通点は、周囲を受け入れ他者との交流を積極的に作り出すこと。世帯人数が2.0以下となった東京での個人の孤立化は深刻だろうし、土地が細分化された家々の密集シーンを俯瞰すると、確かに空気の流れが分断され健康感がない。

パリのあの町並みは、19世紀半ばにナポレオン3世が20年ほどで作り上げたらしい。個人の意志によるそのコントロールされた統一感は(バリケードが作られないように等々の腹黒さはあれど)美しく、建物の中身は変化しているのかもしれないが、外観の大きな変化はほとんど見られない。逆に東京は、強大権力が都市形成に及んでいないため、その土地は約120万の所有者によって複雑に細分化され、中身はもちろん外観の変化も著しい。建物は壊され作られを繰り返し家の平均寿命は26年とのこと。そんな状況をどうするのか、どう前向きに捉えるのかが展示コンセプトになっている。

第12回ヴェネチアビエンナーレ国際建築展日本館の帰国展にプラスαしたこの企画は、国際展という仰々しさがなくラフな提案もあり、特に「意外に外でも暮せる」というパネルは思い切っていて面白い。また、西沢立衛の「森山邸」の縮小模型があり実際にあの集合住宅の中を歩けるのだが、中にいるように外にいる感覚は印象的で、狭そうとはいえ実際の生活がどうなるのか非常に興味深く、孤独死や自殺者の増加という問題を思うと、こういう開放的な空間で他人同士が仲良くなり、理想的なコミュニケーションが生まれ、、、という話は信じてみたい。シェアハウスの増加も目立ってきているようだし、家の概念も変化してきたのだろう。しかし一方、単身者の増加も歯止めが効かない、それはつまりプライバシーを大切にしたい、密な関係はご遠慮したいという気持ちの表れと思えなくもない。
ただ「森山邸」のような世界トップクラスのスタイリッシュな集合住宅に住んでみたら、それは気持ちも一新されるだろうし素敵な交流も生まれそうだ。そういう可能性、つまり生活を別世界に変えてくれそうな気がしたことは事実。
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直線

07 28, 2011
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実験

07 26, 2011
人は色がついたものの形状ー緑色の梨とか、黄色いえんぴつとかーばかり見ているのではなく、もっとずっと複雑な現象、たとえば勇気や知性、自己欺瞞や嗜癖、賭けや野望といったものを見ているのだ。現象学の基本的な考え方によれば。われわれが知覚する対象ははじめから決まっているわけではなく、前景に何を置くか、背景もしくは地平として何を設定するかによって変わる。(Robert P.Crease)

「世界でもっとも美しい10の科学実験」Robert P.Crease(日経BP社)

対象を通して見ているもしくは考えていることの相違が、誤解や摩擦を生みコミュニケーションを拗らせる。同じモノを見ているはずなのに、そこには深い断絶が横たわる。ただそれは仕方のないことだ。例えば共感は、その溝を埋めようとする相手への敬意と言えるかもしれない。しかし、ある真実を証明する実験はその誤差を限りなく縮め、皆で同じものを見ようという、科学者の真摯な思いが込められている。しかし、人間はその事実を見てもなかなか真実を認めず、立場や感覚や概念を優先させてきた。この本の美しいとはもちろん外観の話ではない。たぶんその実験器具を見ても何のことだか理解できない。ここでいう美しさとは、科学者の予想と真実が合致する一点を、ある実験が顕現させるその現象自体にある。

いま美術作品に対し「美しい」という感想を言うと、たぶんそれはけなしていることだ。イコール内容がないという暗示かもしれない。装飾をテーマに扱うにしても、それはグロテスクを踏まえないことには作品とならない。要は違和感やインパクトが重要なのだ。「美しい」という言葉をいかに使わず対象を表現するかに細心の注意が払われている。(こう書くとなんだか妙な世界だ)

美醜を問題にする時代ではなくなった現在、ここに登場する実験達は非常に魅力的だ。地球が自転していることを証明するフーコーの振り子など、変な彫刻よりよっぽど感動的だと思う。あまり日常では使わない言葉だが、真実は普遍なのだ。装飾という概念が一切ない科学に宿る美しさは、緻密な真理の追求からしか始まらない。日々の価値観が情報と共に移り変わり、何が良いのか盲目状態のいま、何百年も前のこれらの実験が、全く色あせないことに爽快感を覚える。また、実験を成功させるには、科学者個人の熟練した手技が必要であり、器具の弛まぬ微調整があり、彼らの人生を賭けた行動があったことを思うと、それは確かに「美しい」のだった。

美しい。温度&条件は完璧で対流もなし。発表すべし。(1912年4月8日)
発表すべし。美しい。(1912年4月12日)
美しい。発表すべし。ブラウン運動が起こる(1912年4月12日)
完璧。発表すべし。(1912年4月12日)
最高のもののひとつ。(1912年4月12日)
あらゆる目的に照らして最高。(1912年4月12日)
(物理学者ロバート・ミリカン/油滴実験ノートからの抜粋)
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群衆

07 25, 2011
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OKTOBER FEST 2011(代々木公園のドイツビール祭り)

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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
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