06 30, 2011
まだ始まったばかりでどうにもならないけれど、暑くなってしまった。歩く速度が格段に落ちた。日陰を探すため下ばかり見ていたら、ヒナが絶命していた。かわいそうに。アスファルトがどんどん熱を吸収する様子が目視できるようだ。上と下から熱に挟まれ潰されそうだ。なるべく暑いことを考えないようにするも、歪んだ妄想しか浮かばない、軽く狂っているのかもしれない。しかし、子供の無駄な動きを見ていると、日陰を探すとか体力の消耗に気を使うなんていう概念自体が皆無であるように見受けられる。それはやはり、目の前の様々な事実や出来事の魅力に集中しているからだろう。僕がこんなに暑さの呪縛から逃れられないのは、外を歩く際に目的地への意識しかないからで、もっと道で未知のものを探すとか、目に入る世界をもっと肯定するとか色々考えやってみるけれど、もうドアを開けて、外へ出た瞬間、太陽の光を浴びたその刹那、そんな意思など無惨に溶けてしまうのだった。

東京オリンピックで金メダルを取った日本のレスリングチームは、睡眠時間にわざと電気をつけて明るくし、ラジオをがんがん鳴らして寝たらしい。不快感への抹殺力を鍛えるためだろうか、鬼気迫る訓練だ。唾液は塩分を多く含んでいるらしいが、それほど塩辛い感じはしない。それは、舌が感じ方をコントロールするからだそうだ。レスリング的な根性を持つ人は少ないが、舌の機能はほぼみんなが持っている力だ。暑さを不快感に感じることが重要な面もあるのだろうけれど、少しでいいからそれを軽減する機能が、体に備わればいいのにと勝手に思ってしまう。
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red

06 29, 2011
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お礼

06 26, 2011
僕は食材を調達しただけなのだが、家を建ててくれた職人さん達を招いてバーベキューをした。(ほとんど建築家のMさんYさんがお膳立てして下さった)バーベキュー慣れしていないので、どれくらいの肉があれば安心なのか分からず、肉屋の主人に聞いたりして準備したけれど、さすがに体が資本の職人さんだけあって、すぐに消化されてしまった。逆にお酒は足りないかと思っていたら、全く呑めないという方もいて全然大丈夫だった。自分の身体を常にベストに保つ姿勢が身に付いておられるのだろう、とても勉強になった。
お話も面白かった。どう後継者を育てるのか、どう仕事を引き継いで二代目としてやっていくのか、人を使うとはどういうことか、独りでやっていくとは、、、それぞれのスタイルがあるのだろう、どのお話も新鮮だった。家を建ててくれた方々が、どういう考え方、生き方なのかを知るのは刺激的で、なにより職人という在り方の潔さを思い知った。地に足がついているとはこういうことかと思った。自分がやっているアートが(そんなつもりは全くないが)浮ついているようで苦しかった。
皆さんが、リビングに置く観葉植物をプレゼントしてくれた。部屋を創ってくれた方々が選んでくれたその緑は、空間を収まりよく演出するのではなく、挑発的に存在する感じで、さすがとしかいいようがなかった。色々考えてくださったことを知ると、もう胸がいっぱいになってしまうのだった。

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百合

06 25, 2011
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普通の文書

06 24, 2011
文書というものは内容が重要で情報が正しく伝われば問題ない、という考え方はわかるがあまり賛成できない。仕事上パワーポイントというソフトを使うことがあって、このソフトで作る文書はどうしても美しくならない。それは書体であれカラーリングであれ、綺麗に見せるという概念が欠落しており、効率優先が生み出した嫌なもののひとつだ。
文字と文字の間には適切な空間があり、そこに気を使うだけで文章が飛躍的に読みやすく美しくなる。ブログもしかり。やたら改行が多くてスカスカだったり、文字が突然大きくなったり色がめまぐるしく変わったりすると、素晴らしい内容がそこに潜んでいるのかもしれないが、ほとんど読む気がしなくなる。 見ていたくなる字面と、目を背けたくなる字面があるということだ。そんな思いが澱のように溜まっていた時、川上未映子と多和田葉子の対談を読んで、とても共感できた箇所があった。以下引用。

本をパッと開けたときに「ああいい顔だなあ」と思うんです。意味と同時かそれより少し先に活字が目に飛びこんでくる。立体的なレース模様みたいな感じで、レースの模様はそれ以上意味が出てこないけれど、文字は意味があるから二度おいしいみたいな。(川上未映子)
素早く意味だけを追って読書するには、文字を見ない方がいいんだけど、どうしても見えてしまう。私はそれを「文字のからだ」と呼んでいるんだけど、文字が絵として戻ってきて読書の邪魔をする。そういう読書の面白さというか、難しさというのは非常に重要なことです。(多和田葉子)

これは、活字としての漢字とひらがなのバランスやリズム感の重要さはもちろんのこと、その文章の個性や在り方を視覚的に判断する発想で新鮮だった。ただ綺麗にするのではなくさらに進んだ書き方がそこにはあるようだ。ちょっと意味が違うが、普通の文書を「いい顔」で書けたとしたら、それはたぶん「いいデザイン」かもしれない。

原 研哉が、もう細かい書体の差は必要ないと以前講演で言っていた。標準的な明朝体とゴシック体があれば、後は文字間と行間の完成度を上げることで、なんとかなる的な内容だったと思う。そういえば、その背後に写されていた彼の概念を説明する図がとても美しかった。どうというこのとない線画なのに、スッキリしっかりしているのだった。こういう差はほんの少しなのかもしれないが、 限りなく大きな差でもあるんだよなあと思った。 
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任田進一

Author:任田進一
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