原色

04 30, 2011
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リスボンのスーパーマーケット

04 29, 2011
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カメラ好き

04 28, 2011
やさしい先生が行う授業のような雰囲気で、その歴史から検証してくれる非常に親切な本。先人達がいかに写真に向き合ったかが解りやすく解説されている。また周知の事実だが、写真の歴史はまだ始まったばかりだと再認識できる。そして、絵画が行ってきたような冒険に比べ、写真の在り方がいかに保守的かを考えてしまう。そういった知ってるつもりでいたことが、明るく整理されていてサクサク復習できた。画像も多く丁寧で好印象。しかしだからといって、著者であるホンマタカシの本質が掴めるわけではない。

「たのしい写真 よい子のための写真教室」ホンマタカシ(平凡社)
写真愛好家とは、ある意味自分が撮影する写真以上に、カメラのメカとしての機能を愛している方々のことだと思う。それはとても結構なことだし、とやかくいうつもりはない。ただ僕はそういう意味で、カメラに対しての愛情があまりなく、必要な機能がそろっていれば問題ないと考えている。逆にカメラやレンズの種類や、細かい性能の話をされると、無知なことが多くオロオロしてしまう。本書の中で時々表れる著者のカメラオタク的な記述が、実はほとんど理解できなかった。例えばこんな感じ、以下引用。

ライカはM3。ご存じライカMシリーズの王様。ファインダーの綺麗さはピカイチ。レンズはズミクロン50ミリ、f2ヌーキー付き(近接撮影用眼鏡)。ボクは広角系より50ミリが好きなので、50ミリのファインダーが最初から出ているM3が気に入っています。1954年発売のライカM3の1962年製。ボクの生まれた年のライカです。~

もちろん僕はライカを持っていないので、この部分は何も理解できない。そうなんすか。という感想だ。しかしこういう話を聞くと、ああこの人はカメラが好きなのだ、ということが明快に伝わるし、そういう人であれば、作品も信じて(被写体の真偽ではない)いいかもなと思う。話はズレるが、カメラ機材とは何であんなに高値なのだろうか。容赦というものがいっさいない。僕はデジタルカメラを使っているけれど、その理由は経済的にフィルムでこれ以上続けるのが無理だからだ。初めてそれを手にした時、その枚数無制限の事実に、無限の力を手にした気分だった。もちろんそれだけで問題は解決しないし、それは新たなドロ沼への入り口でしかなかったが。ただ、カメラやレンズの種類をより多く経験しているということは、その写すべく対象に対峙する際、最善の武器を使うという選択がより綿密にできるわけだ。今まで目をつむっていたが、痛いところを突かれた気分だった。
写真集や写真家達への言及も多い。しかしそれは著者の勤勉さを物語るものではなく、その作品や人に触れられる喜びに満ちており肯定感が強い。結局「写真を愛するホンマタカシ」がわかっただけで、先日展示を観て感じた空虚さは謎のままだ。紹介される作品や写真家のエピソードを読むと、ご本人は空虚とは無縁の人に思えるし、写真に接することが実に楽しそうだ。「たのしい写真」に嘘はない。しかし、僕は彼の作品から「たのしさ」を感じることができない、そこには歴史的視点を通した、今の写真の在り方を模索する知的で冷徹な印象しかない。ただ著者が「作者の死」について語っている通り、作品と作者を無理に繋げる必要はないのだろう。僕が感じた空虚とは、作者が作品と意図的に乖離する技に慣れていなかっただけなのかもしれない。
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白黒

04 27, 2011
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感情がない

04 26, 2011
血が通っていない写真と評された彼が、血痕を撮影していた。しかしそれは赤い顔料かもしれないという。Tokyo and my daughterというタイトル作品に写っている女の子は「ホンマ」の娘ではない。ロサンゼルス郊外に生息するライオンを追うプロジェクトの記録にライオンの姿はない。彼が敬愛する中平卓馬のVTRに中平卓馬は一瞬しか写らない。このぶつかるべき対象が、幽霊のように体をすり抜けてしまう感覚は何なのか、これが新しいということなのか、ただ空虚なだけではないのかと思わずにはいられなかった。

「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」東京オペラシティーアートギャラリー
カタログに掲載されている椹木野衣の分析がわかりやすい。ホンマが無感情なカタカナで自らを名乗るという事実から、彼の写真を読み解く手法は、観者を躱し続けるクールな作品を観ていく上で、確かな手応えを掴むきっかけになると思う。しかし、あまりに現代美術的な作品の仕上げは、もう写真というより洗練されたアートとしか見受けられず(そうなのだろうけれど)何か「写真」としての美しさとか熱さ(喜び)みたいなものを期待していた僕は見事に裏切られた。確かに冷たく均質な現代を描写しているのかもしれないし、ニュー・ドキュメンタリーとは、そういうことなのかもしれないが、対象が常にずらされていくことは、自分が何を見ているのか不明になり、写真のピントは合っているのに、視界がどんどんブレていくようで、あまり気持ちのいいものではない。もちろん作品は観者を気持ちよくさせる必要はない。しかし、明るい光に照らされた多くの風景なり人物なりを見て、虚無感に包まれ落ち込む経験は初めてだった。そしてそれは今でも微妙に続いており、これがホンマタカシの力なのかと知るのだった。ずっと意図的に避けていた「たのしい写真」を読んでみようかと思った。
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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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