期間中

01 31, 2011
東京で仕事をしている関係上、京都での展示には随時顔を出せない。それでも先週はギャラリーの新年会に出席したりして頑張ったが、苦しい部分は無視できない。しかし、展示空間には頭で捏ねている作品の活路があるだろうし、観者の反応を目視できる。僕はシャイだけど、言葉を交わすことで作品への理解が深まるのであれば、そこは努力せねばと思う。自分から声をかけることはあまりないが、特に今回の作品は、何が写されているのか悩む人が多いようなので、逆に話しやすいかもしれない。椿昇が新年会に来ていたのだが、会話もさることながらその風貌から滲む存在感はさすがだった。居てよかった。
またneutron 京都はカフェが併設されており、居心地が抜群である上、オーダーが作家に限り50%offなのだ。ここのハンバーグランチは絶品なので、ランチにだけ出没する作家もいるだろう。東京の仕事場でお昼を迎えると、ここが京都だったらなあと正直思う。
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西本願寺

01 30, 2011
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京都の通り

01 29, 2011
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新花屋町通
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旧花屋町通
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室町通
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搬入

01 27, 2011
梱包された作品を取り出し、白い壁と対峙する時、ああここに戻ってきたと思う。それは場所の問題ではなく、搬入作業の現場に足を踏み入れたということだ。巨大な白い壁は目の前に迫り出してくる感じがある。作品が梱包材と共に散らばっている状態にある時、誰でもそうだと思うのだが、かなりプレッシャーを味わう。本当に当初の計画で大丈夫か、とか不安になる。そして、目指すポイントを割り出し、ネジを入れ込み作品を1点取り付けると、少し壁が変化する。迫り出し感が弱まり、壁とのコミュニケーションが始まったと思う。そして全ての作品の設置が終わる頃、白い壁の主張は終わり、壁と作品が一体になり、作品自体も僕から離れ自立する。ここで初めて今回の作品がどういうものか見えてくる。これが何故、事前に分からないのか、分からない。

そしてまた今回も、見事に忘れ物というか「ポカ」をやっていた。なんで今まで気づかなかったのかと思う。しかし、これは現場でどうなる問題ではないので諦めた。しかしそのミスが見つかったことで、素の自分を取り戻し、見事に肩の力が抜けた。

25日より「neutron 京都」での展示が始まりました。ご高覧頂ければ幸いです。
6年ぶりの個展になります。よろしくお願い致します。
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繰り返し

01 23, 2011
雲に同じ形はないし、人にも同じ顔はない。同じ現象が再び繰り返されることはない、という事実が自然のひとつの特徴だろう。
今回、土煙の撮影を続けることで生まれた指針がある。ひとつはもっと美しい形ができないかという思い、つまり形態の洗練という目的。ふたつめは、過去を断絶するような形が作れないかという思い、いわば形態の新規性を目指すということ。主に僕はこのふたつを基本に撮影を繰り返した。
同じ様なしかしそれぞれが異なる形を量産し、一定量の行為を経ると、こんな規模でも突然変異が起こる。それは当初の予想とは異なる形であるものの、美しいとか新しいとは何かを再考させる 不思議なフォルムをしており、その分析を拒むかのような形態は、そのまま人知を超えた力を孕むように思えた。またさらに、作業上その一枚が生まれることで、制作方法の改良を強いられた。それは、それまでの形の要素を備えつつ別の可能性を示唆するフォルムから、新たな形を生み出すヒントを受け取り、次へ繋げるということでもあった。ここに自然の「同じ形がない」という価値があるのではないかと思えてならない。最終的な究極の形態という「完結」ではなく、繰り返しという「連結」によって生まれる進行の実感は、行為における可能性の拡大を体感させてくれた。

娘は幸か不幸か僕にそっくりなのだが、娘がどれくらい父親に似ているかは、僕に限り記憶と照合するしかない。しかし僕以外の人は両者を比較できるので、リアルにその類似性を見ることができる。僕は娘の10倍の歳なので、違うことだらけなのに「ああ似ている」というしかない部分があるようだ。特に妻はそれをネタによく笑う。
その類似感の意味は、血縁という繋がりが持つ性質なのだろう。この関係を過去へ遡るだけ遡り、その写真を並列に提示するだけで、結構な作品になるかもしれない。似ているということは、もちろん顔だけの問題ではなく、思考や行動全てに関わるのだろうけれど、これも繰り返しという連結が根本にある。生み出されるものは大切だが、その行為自体が持つ秘密を知りたいと思う。今回の作品でもその思いは強い。

本日作品が集荷される。梱包作業が終わると忘れ物がないか不安になる。そして実際に何か忘れているのだ。それは経験的に言って間違いない。今回は何を忘れているのだろう。
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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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