どこに住んでいたか

07 27, 2010
自宅から自転車でしばらく走ると国立天文台がある。その途中に東大の三鷹寮があって、2つともかなりの敷地で広がっている。先日読んだ「父として考える」東浩紀、宮台真司(NHK出版)で2人が対談する中に、この2つのエリアが出てくる。幼き宮台少年がカラスに追いかけられ、森に迷い込み夢中で逃げていると唐突に天文台が現れた、という部分がそこにあたる。現在は塀がきっちりあって簡単に忍び込めないし、ましてや迷い込む余地などない場所が、昔は子供が無意識にさまよえるほど、出入り自由なエリアだったらしい。
そういう空き地でも公園でもない放置地帯を、幼少時代の大切な場所として記憶している大人は多いはずだ。いわゆる秘密基地と称し、皆で自らの野生を解放できる場所だったのではないか。しかしそういう隙間的な場所は、保護者の視点で見ると危険この上なく、さらに似たような状況は多々あり、その後各地で対応策がとられることになった。その影響かどうかは定かでないが、三鷹寮と天文台も同じ流れで、住宅が増え隙間は公園になり、不審者の侵入を防ぐべく塀ができた。確かに全国的に統計上犯罪は減ったようだ。なによりだ。
しかし惜しい場所がなくなったとも思う。わからないが、そういう雑木林を抜けて仰ぎ見る天文台の唐突さは、かなり面白そうだ。今そういう唐突な体験を自宅付近でできる子供は少なかろう。遊ぶとは公園や室内での行為であり、目的地を設定しない状態でさまよい歩くことを、遊ぶとはいわないのだろう。まあ仕方ないとは思う。子供にとってどちらが安全な遊びかと問われれば前者の方に決まっている。イレギュラーな要素は排除すべきということか。

話は飛ぶが、新入社員の顔ぶれがここ数年ものすごく似ている。ちょうど家を作ろうと考えていたせいもあるが、彼らのたたずまいが、新築の建売り住宅そっくりに思えて仕方がない。清潔で信頼感があり平均的な生活がしやすそうで、似ていつつも隣とは微妙に異なる適度なプライドを保った感じ、等々と形容したら怒られるだろうか。厳しい就職戦線をくぐり抜けた優秀な彼らが、どういう育ち方をしたかは知らないし、これは勝手な想像だが、均質な住宅街の公園で正しく遊んでいたのではないか。もちろんそれを否定しているのではない。子供は生まれる場所を選べない、責任は親の世代にある。そして僕も自分の娘を、何が起るかわからない雑木林をさまよわせて遊ばせる気はない。これは単に当時の広大な名称未設定エリアが、自宅付近に今でも広がっていたら面白いなあと思わずにはいられない、マニアックな願望の話だ。ならば何故そんな想像をしたのか。
先日ギャラリストと作品について話す中で、イレギュラーな面白さを大切にしたい、という部分が共感できたのだが、そのルーツを辿ると、つまり僕が面白がってる要素を突き詰めると、幼少のころ毎日その手の雑木林に紛れ込み、昨日とは違う何か、つまりはイレギュラーな事態を見つけては喜んだことを、設定を変えていまだに続けているわけで、興味のツボは不変なのかと思えたのだ。
育ちの場が本人の認識以上に顕在化するという可能性を、全ての人に当てはめるつもりはない。ただ幼少時代どこに住んでいたか、という当人が選べない事実が、その人間形成において重要な問題であることに変わりはない。親の判断が問われるところだ。
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自然

07 23, 2010
自然はそのスケール関係なく自分の思い込みを打破してくれる。長期にわたり、植物や水を撮り続けられたのは、常に予想を躱される刺激があったからだし、根拠はないが、何よりも正しいのは自然だろう、という思いもあるからだ。いつの時代も、人間はなんとか自然を意のままに操ろうとしてきた。結果その恵みを享受できたが、逆の事態もあったはずだし、最終的に翻弄されるのは人間の方だろう。そして、適わない存在を少しでも知りたいという欲が生まれるのは、それほど不思議なことではないと思う。
初めて多摩川の雑草地帯に迷い込み、その茂みと向き合った時、自分が消える感覚になったことを、僕は明確に覚えている。それまで制作とは自分をどう出すかが重要だと考えていたが、自分を消し去ることで、初めて作品の中の自分が見えた気がした。以後その雑草地帯で紛れ込むように撮影を続けた。言ってみれば自己消滅の快感だった。生活していれば常に自分の名前を背負わねばならないが、視界から人工物が消える場所で雑草と向き合う時、自分の名前は関係なかった。そうして早朝の意識が茫漠としている時間に、真っ白な状態でその場に溶け込む回数を重ねるうち、道ばたの雑草が以前と違って見えるようになった。それは感覚が進化する体験であり、自然を信頼しようと思ったきっかけは、そこだった。もちろん今も揺らぎはない。詳しく書けないが、現在続けているシリーズも極小サイズの自然といえる。要素は2つしかないが、醸し出される形は単純で複雑で無限だ。
僕の制作欲をひとことで言うとすれば、自然の構成要素をほどき、それらがどう絡んでいるのか凝視したい、ということになる。もっと突っ込めば、それを続けることで、さらなる感覚の進化を実感したいのだ。

月末にギャラリストがスタジオに訪れることになり準備をしている。最新作と過去作品を合わせて見せる際、何を言おうか考えていたのだが、たぶん上記の内容を話すように思う。わかってもらえるだろうか。 
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虫酸

07 15, 2010
放った言葉は自分にそのまま返ってくる。本当にお前はそれほどのものなのかと問いただしてくる。そして大抵、あんなこと言わなければよかったと後悔する。それは自分自身で語ったことを完全に実践できていないからだし、たとえそれができていたとしても、この年で自己肯定を語る程うっとおしいものはなく、そんな話を聞かされたところで、聞く方もたまらない。そうですかとしかいいようがない。黙するべきだった。思いを他人にぶつける暇があったら、その言葉を自分に向けねばならない。しかし、時にそれは声に出てしまう、特に自分より経験値のない人を前にする時、制御しづらい。それは彼らが弱い存在であるゆえ、攻撃されない立場を利用しておりタチが悪い。時に正しい言葉は傲慢以外の何物でもない。先日後輩への指導的発言を求められる場があったのだが、自分の言葉にどれほどの意味があるのかを考えると、発言全てを撤回したくなる。ただ単に自分を棚上げして説教しただけで、もし僕が聞かされる立場だったら、言われた逆の行動で相手をやり込めたくなるに違いない。
自分の視点を持てないのは今の自分なのだ。コンペで敗退する時の悔しさは二度と味わいたくないし、逆に勝利した時の嬉しさはずっと浸っていたい快感なのだ。そしてそれは他人の評価を得られた弱い自分の満足感であり、それ以外ではない。つまり他人の目が気になっているのは明白で、そこから脱却すべく左右されない自分を確立したいと、切に思っているのは今の自分だ。偉そうにしている人間が何より嫌なのだ。しかしそれが先日の僕だ、虫酸が走る。手遅れだがもっと誠実な言葉を探すべきだった。
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幸せジャンキー

07 10, 2010
社会的知能の発達は、嘘をつく能力と嘘を見抜く能力が絡むことでエスカレートした。例えばサルはライバルを欺き、群れでの立場を有利にすべく巧妙に立ち回ることで、知能を進化させた。その最高到達点が人間である。我々が様々に営む生活の原点に、その知能の発達があり、もちろん様々な芸術もそこから派生したものだが、その発端を辿ることで見える景色は、相手を騙す邪悪な行為であったことを忘れてはならない。
「哲学者とオオカミ」マーク・ローランス(白水社)

人間嫌いな哲学者が、オオカミと生活を共にすることで思い知る、人間の卑しいサル的な部分を暴き、いかにオオカミが美しい存在であるかを綴っている。サルと同じ群れで生活するオオカミが、サル的な進化をしなかった謎は、著者の考察はあるものの完全には解けないが、裏切りと無縁な潔いオオカミの生き方からは、多くの示唆を受ける。特に人間を幸せジャンキーと捉え、幸福の意味を考えず、ただその感情に従い盲目的に「幸せ」を追い求める行為を、突き放した視点で記述する部分が痛快だった。また最高の瞬間とは何かを考察する場面では、ある人間が最も良い状態である時、その本人が最も高揚している可能性は少なく、著者はむしろ逆だと主張する。つまり本人が最も苦しい時(あらゆる幸運、策略、知恵が尽き果てた裸の自分になる時)に人間は最良の状態(最高の瞬間)になるらしい。この最良という言葉が何を意味しているかだが、僕が思うに欲望や邪悪さからかけ離れた、慎ましい状態ということのようだ。この著者の場合、長年一緒だったオオカミを埋葬する時が一番苦しかったらしいのだが、もし神から「人生で何を望むか書きなさい」と紙とペンを渡されたとして、一番まともなことを書けるとしたら、あの時以外ないと彼は語っている。

先日再び娘がいなくなり、警察も登場するという事件があったのだが、確かにこの時、僕は娘の無事だけを祈っていた。行儀の悪さや過剰ないたずらを許容しようと思った。もちろんその時、大金獲得やコンペの勝利願望など消し飛んでおり、自分を優先する卑しい心は霧散していた。そして娘が無事発見された数日後、宝くじのハズレを確認した際、あの時の崇高な自分が既にいないことも同時に確認できたのだった。
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パニック

07 02, 2010
動物園で娘を見失った。躍動していた世界の表情が消えた。
眼を離したのはほんの数秒で、物理的にその時間内で視界から消えるほど3歳児は移動できないので、その謎が理解できず、「あれえあれえ」と阿呆のように繰り返しつぶやき、名前を連呼し捜したが返答も姿もない。煙のように消え去ったとしか思えない状況は、よからぬ妄想が暴走し気が狂わんばかりになった。全力で走り回ったが、自分だけの捜索は非効率と判断し園内放送を依頼すべく、園関係者と思われる人に話しかける。服装や特徴を訪ねられ、ひとことで表現できない複雑な色のシャツやリュックを背負わせていたことを後悔した。ショッキングピンクの帽子とか、レモンイエローのシャツとか着せておくべきだった。複雑系は説明しずらい。知らせを聞いたら妻は発狂するだろう。これが本物のパニックだ。ピンチとはこういうことだ。これに比べれば仕事のプレッシャーなど風船バレーボールみたいだ。「お父さん、そこに座って下さい」と言われ、我に返る。座りたくないので立っていたら、窓の向こうに娘が見えた。娘はパンツの入った小さなリュックを背負い、しょんぼりうつむいていた。その姿は一気にズームレンズで対象が拡大されるように眼に飛び込んできた。離脱していた魂が自分の体に戻り、視界の彩度が上がり、再び世界が動き出した。取り返しのつかない失敗をして時間の逆回りを願ったところ、本当に時間が逆回りしたかのような気分だった。それまで止まっていた汗が吹き出した。
似たような世界が複数存在していて、気付かぬ内に別の世界に移行する話が最近ベストセラーになったが、僕が娘を見失った状態で見ていた世界は、現実感の無いただの周囲だった。存在物の意味が剥ぎ取られ、感情が消滅した人を見るようで、その世界では生きられないと思った。同じ物が全く違う物にしか見えなかった。
15分くらいの別離を体験し再会を果たした娘は、その後も飲めるわけが無い2本目のジュースをねだったり、象を見ながらおしっこを漏らして水たまりを作ったり、決してできた子ではなかったが、その娘の行為や状態がどのようなものであれ、娘がいる世界が僕の世界であってそれ以外はない、という自分の居場所を実感した。10年以上独り暮らしを続け孤独には慣れていたつもりだったが、僕はもうあの世界から移行したようだ。今の世界の根源的土台が、小さな娘によって支えられている事実を叩き込まれた。電車で熟睡する娘の重さがその証のように思えた。
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プロフィール

任田進一

Author:任田進一
http://www.shinichitoda.com

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