先日、大学の同級生4人と久しぶりに呑んだ。当時はそれほど親密な関係ではなかったのだが、今は住所が近く、仕事が遠からず繋がっていて40前のおっさんとしての共通な感覚があり、話が合うので再び集まったという感じだった。特に革新的な会話もなく、そもそも呑むという行為にそんな鋭利な会話は似合わないが、4時間近く呑み続けた。何かを成し遂げるという向上心を満たす行為が重要な時もあるが、その逆を向く時間も忘れてはいけない。
3月の終わりとはいいつつ、寒い雨の日だったので、友人が予約してくれた「おでん屋」という選択は実に正解でありがたかった。この歳になると20代のようなガツガツした感じは消える。これが適度な諦めを含みながらも冷静な視点に繋がり、話が偏ったものでなくそれぞれ聞けるものになる。歳をとった残念な思いもあるが、だからこそできる会話もあるわけで悪くない時間だった。
僕は同窓会というものにほとんど参加したことがない(そもそも誘われない)のだが、もしかすると幼き時代にできなかった会話が、今になって初めてお互いを労りつつ交わせるという新鮮さがあるのかもしれない。今まで同窓会とは、それぞれが自己肯定の話を繰り広げる場に思えて、距離をとっていたが、参加経験がないくせに勝手な予想はよろしくない。似たような状況として、友人の結婚パーティーがある。そこで幼い頃の友人と出会えば、年齢を経ているがゆえの会話ギャップを楽しめそうだ。しかし友人が少なく同窓会にも誘われない僕に、そんな招待状が来る可能性はなく、身の程を知るとともに我に返るのだった。僕は友達を作る努力を誰よりもしてこなかった人間で、それは年をとる程にツケが回ってくるのだろう。少なくとも今いる数少ない友人達は大切にしようと思う。
僕はある時期から作品タイトルを英語で付けるようになった。
これはなるべく多くの方々に意味が理解できるように、という思いよりは、日本人に対しての意味合いが大きい。なぜか。日本語だと言葉に染み付いてしまった特定の意味が、どうも作品と馴染まないのだ。例えば「空」と名付けると僕が連想する空を、作品とは関係なく感じてしまう。もちろん他の人には、僕が個人的に持つ空に関する言葉の呪縛からは自由なので、問題ないのかもしれないが、たぶん多くの人がそれぞれ定義した「空」があるはずで、その思いと作品「空」がうまく繋がるのだろうか、と考えてしまうのだ。であるなら「sky」とした時の方が、手垢が付いていないように感じる。では英語が母国語の人はどうなのか。乱暴かもしれないが、外国人が使うだけでその言葉は新鮮に変化すると思う。少し話しが外れるが、僕は子供のころ横須賀に住んでいて、犬と散歩している時に、いかにもという黒人から話しかけられたことがあった。彼は「柴犬ですか?」と丁寧に聞いてきた。もちろん意味は理解できたが、その巨体とその発せられた言葉のイメージの乖離が激しすぎて、実に鮮烈に「柴犬ですか」という言葉が僕に響いた。
これは想像の域を出ないが、僕が英語が出来ない人としてそれを使う時、つまりある言語に慣れない人が、それを使用して何かを伝えようとする時、言葉が本来の意味に立ち返えるように思うのだ。つまり、言葉がその不自由さゆえに、リセットされるということだ。それは、しゃべっていなくても効果があるのではなかろうか。ただ間違えて使用すると、意味不明な漢字の入れ墨をしている外国人になるので、細心の注意が必要だ。
タイトルは作品を言葉に置き換えた一種の記号であり、作品の意味ではない。ここの勘違いが怖いゆえに、作家達は工夫をこらす。以前は、詩のような日本語のタイトルが流行った。意味深長な言葉の連なりは、それだけで何かを孕ませる効果があったのかもしれない。
僕が作品にタイトルを付ける行為は、作品の一部に薄いヴェールを掛ける感覚に近い。それは、見えすぎてしまう実態を微妙に隠すと共に、その言葉が持つ意味と作品が絡む効果を期待しているからだ。手品の種明かしではなく、そのパフォーマンスがより魅力を増すようなトークとして、タイトルが機能すれば理想的なのだが。
僕は口数が少ない人間だと思う。仕事場では必要以外の言葉はほとんど発しない。下手をすると挨拶すらしていないことがある程だ。しかし、そんな人間でもしゃべらねばならない時があり、苦労するのだが、大抵それが終わると気分が変化しているので、たぶん人間はある程度しゃべった方がいいのだろう。30分以上ひとりでしゃべり続けなければいけない場合、その時間配分を考慮しつつネタを準備するのだが、これが意外に思考整理の役目を果たすので馬鹿にできない。そもそも、その機会が与えられなければ、そんなことはやりもしなかったわけで、別の自分を意識する、貴重な時間と見なすこともできる。
自分が人前に立つタイプの人種でないことは自覚しているが、最近何故か、しゃべらされる機会が増えてきた。場数を踏んだ体験が慣れないことへの訓練になるようで、専修大学で講義をやっておいてよかったと思う。そのお陰で今回は、人数の少なさもあるが随分楽だった。自分にとって何が役立つかは、自分ではなかなか見えないが、自分が発した言葉が、どのような反応を持って返されるのかを、知ることができるだけでも収穫だろう。ありがたい場を与えられているのだと思う。
納骨堂を見に行く。
母がクリスチャンなため、いわゆる教会の共同墓地に父は入ることになった。
お墓をゼロから作る余裕がないので、仕方ないのだが、白い壁が印象的な綺麗なお墓で母も満足そうだった。教会の長老さん(長老と言われる方と初めてお会いしたのだが、本当に長老という肩書きがはまっておられる方だった)の案内で中に入ると、名前が記されたお骨の入れ物が並んでいた。名前というものが、それだけで力を持つような空間だった。特に同じ名字がセットで並ぶそれは、夫婦である可能性が高く、このようにふたつ並んで静かに存在するささやかさは、初めて目にする光景だった。母は間違いなく自分もいつかここに入り、父と並んで置かれることを考えたはずで、それは母にとってどういう思いだったのかわからないが、想像するに自分自身の終着点と対峙する感覚だったのではないかと思う。
母は、父の口座の整理や様々な書類の作成を日々ゆっくりやっているようなのだが、そのそれぞれが結局は父をこの世から消す行為だ、と話してくれた。穏やかに笑う父の遺影を花で飾りながら、母が父を消す書類を仕上げているその日常は、なんと悲しいものかと思う。「元気を出して前向きに」と言われたところで、なかなかそうは考えられないだろう。息子としてやれることは、そういった励ましではない新しいこれからの事実を、ひとつひとつ重ねて母へ伝えていくしかないようだ。
教会の方々は本当に親切で、人として大切なことはこういうことかと思えた。母がいつも刺激を嫌い、浮世離れするほど静かに暮らしていたのは、この空気を家にも作りたかったのではないかと、今になってやっと理解できた。母としては、そこでの知人達が眠っているその場所に父も入るのだと考えれば、さらなる善意に守られているように感じるのかもしれない。少しでも確かな安心が母に訪れればいいと思った。