新しい方法が確立してそのやり方が主流になると、以前の方法で作られた作品が全て過去のものになってしまう。革新の一端を実感し、漠然と進めていた時の恐ろしさを思う。
反省が趣味ではないが、ここひと月程自分がその日にやった制作行為を書き出し、問題を洗い出していた。実に突っ込み所が多いやり方をしていて、そこを日々修正してきた。そうすることで試作に様々なバリエーションが生まれ選択の余地が格段に広がり、制作にあたっての束縛要素からずいぶん自由になった。それが作品の善し悪しを判断できることに繋がり、ほぼ一年近く続けていた方法が過去になり、その分の作品はほとんどお蔵入りになった。
僕の作品は自然物を取り入れているので、ある範囲を越えるとそこから先は偶然に任せることになる。その偶然をある程度コントロールするために「方法」を作る。ここを見直し続けることで、失敗率が減ると共に「方法」自体の更新が始まる。これがさらに新しい偶然を呼び込み作品の変化が必然となった。このエンドレスな予感は悪くないのだが、その分完成はまた遠のく。しかし、これもそのうち行き詰まりになるだろう。そうなれば再び亀裂を作るべく、何かの要素を更新させていくしかない。延々と続くその繰り返しのスパイラルが、できれば上昇傾向にあるとよいのだが。
自分がその年齢になる頃には、どのようなスタンスで仕事をしているのか、もしくはどのようなレベルの仕事をしているのかを考えると、現在の動きがこれでよいのかを問うことになる。今の仕事は非常に明解で自分の性格や能力にも合致していて、間違いなく恵まれていると思う。転職はここ何年も考えたことがない。しかし、それでいいのかと思うこともある。
「なぜデザインなのか」原研哉 阿部雅世 対談(平凡社)
もう否定するところなど微塵もない高尚なデザイン論である。彼らのデザイン哲学を、是非全世界に広めて頂きたいと思う。例えば僕のような、目先のクライアントと消費者の視点くらいしか考えていない人間は、もう自分が恥ずかしくて仕方がない。そしてその彼らの仕事の高貴さを自分のそれと比べると(そんなことに意味はないのだが)自分は大丈夫なのかと自問してしまう。
美大で学んだデザインというものは、社会でそのまま通用するわけがなく、大抵軌道修正が必要になり、その現実の在り方を学ぶ。「理想」という言葉の意味をここで僕は初めて体得した。思うようにならない、という実感は厳しいものだが、それはそれで悪いことではなくその後を考えればすむことで、その都度折り合いをつけてきた、「理想」を求めてしつこく食い下がることが、現場の空気を乱すことになる時、僕は無理をしなかった。
しかし、この本の著者である2人の話に触れていると、そういう場でも彼らならば淀んだ空気をより浄化しつつ、「理想」の形へ続く道を作ってしまうのだろうなあと思わせられ、そんなレベルの人間に自分はなれるのかと考えると、それはかなり夢物語のように思えてしまうのだった。彼らのその美しい話を読む程に、自分の醜さを露にされているようだった。
原研哉は同じ学科の卒業生で、現在はその学科の教授をしている。僕がそこで学んでいた時代はこう言ってはなんだが妙な学科だった。卒業していった人がデザインで名を通すことはあまりなく、有名になった人は、村上龍や草野マサムネだった。デザインなんか~的な見方がどこかあって、僕もデザインとはほど遠いアート的な卒制を提出した。当時流れに乗っていたのは佐藤雅彦とか大貫卓也でいわゆる電通、博報堂をみんなが目指しているような空気があり、そのなかで原研哉はどちらかと言えば地味な存在だった。当時特別講師として彼の授業を受けたことがあったが、丁寧だとは思ったが派手ではなく、愚かな僕は魅力に欠けると判断していた。
しかし、それから15年を経て現在を見ると、佐藤雅彦はとっくにデザインから離れ、まさに花形としてデザイン界に君臨していたのは原研哉だった。彼の丁寧な仕事は見事に花開き、的確なコンセプトは時代を捉えたようだ。あの時どこか濁っている感があった学科も、現在のあの教授陣を見れば人気学科に様変わりしただろう。自分は何を見ていたのだろうと思う。実に安易だった。軌道修正が必要なのは今かもしれない。
テレビをほとんど見ないという状況が3年くらい続いている。理由は単純に時間がないからだ。しかし特に不自由するわけでもないし、情報はネットや新聞である程度カバーできるしと思っている内に、本当に見なくなってしまった。今までドラマなど見ないわけでもなかったのだが、ここ最近どのような話がその場で語られているのか全くわからなくなった。しかし焦燥感はなく、だいたい過去を焼き直して同じようなストーリーが繰り返されているのだろうと勝手に解釈していた。
「ゼロ年代の想像力」宇野常寛(早川書房)
90年代からゼロ年代の間に作られた様々なドラマ、小説、漫画などサブカルチャーを通して時代の空気がどのように変遷したかを観る内容なのだが。これを読むと焼き直しドラマばかりではなく、その風潮を的確に反映しつつ時の問題にどう解答するかを、暗示させる内容のものが色々あったことを教えられ、テレビを見ないことでの後悔を久しぶりに味わった。
つまり90年代から02年くらいの変化を切っていく内容は、取り上げられる作品を知っていたので、漠然としていた記憶にぐいぐい輪郭を付け、時代を定義してくれることが気持ちよかったのだが、いかんせん未読の小説評論を読んでも咀嚼感がないように、後半はいきなり答えを教えられ、腑に落ちないまま放置されるような感じだったので、できれば実感として読める状態でありたかった。結末の共感がぼけるのはこのためだろう。
なにげなくテレビを見るという、一見無駄に思える体験をもっとやっておけばよかったと思う日が来るとは思わなかった。「なんとなく」続けている惰性の行動が意外な意味を持つこともあるらしい。
完成とは違うのだが、手応えを感じる瞬間がある。
僕の作品の多くは写真なのだが、何を撮影するか決めずにシャッターを切ることはほとんどなく、多くは先にイメージした何かがある。そしてそのイメージを定着するために撮影するという行為に出る。ただ完成した作品は、当初のイメージをなぞっているかというと、そうはならない。それはイメージを立ち上げるにあたり、通過する現実が思い通りにならないからだが、この想像と現実のズレに意味があるように思う。ズレというのはイレギュラーな事実で、想像の甘さを指摘する現実からの忠告であり挑発のようなものだ。想像は都合よく形を歪めるため、現実の強度に耐えられない、しかし、イメージの形はなんとか現実にしたい。この両者の主張をどこに着地させるのかを模索する行為が、制作するということになるのかもしれない。手応えはその着地点の発見といえる。
それにしても、「だいたいこうだろう」という予想を何故してしまうのか。それは効率とか失敗回避のためか分からないが、実際多くのことを予想しつつ生活している。それは仕方のないことだとしても、常に対応するという感覚ではなく、ニュートラルな状態でいたいものだ。それは明らかに自分のイメージの方が現実よりも貧困なのだし、下手な予想は貴重な未来を歪め、その後の必要な行動を抑制するかもしれないからだ。