意識していなかった微細な変移
04 23, 2020
本当にこんなことになってしまったと思う。中学2年生になったばかりの娘は、約2ヶ月閉じこもったまま、登校日もなにもかもが無くなってしまった。僕は奇数日だけ出社していいとされているが、基本はテレワークだ。時々電車に乗ると、本当に人は減ったと実感する。座る際も1人分の空間をあけて座るのが、通底する共通マナーになった。そして、見渡す限りほぼ全員がマスクを装着している。時々していない人がいるとかなり目立つ。感染者が259万人、死者が18万人。今後どうなるかの憶測が様々に飛び交っているが、こうなってしまった今「それはもう長期戦だろう」という意識が、嫌が応にも芽生えてくる。来週から「緊急事態宣言解除です」と急に言われても、なんの説得力もないし納得もできない。第2波の感染が始まる可能性を当然考えてしまう。
僕は「休日を好きに使っていい」と言われたら、喜んで家に引きこもる人間なので、この生活に関して実は然程のストレスを感じておらず、逆にやるべきことに集中できている。人に会わなくていいため、人間関係のトラブルに巻き込まれることもない。家族と1日中一緒にいられる安心感もある。しかし娘はそうでもなさそうだ。僕と同じで、学校が大嫌いだった為、降って湧いた連日の休みを当初は面白がっていたものの、こうも長期化すると表情が乏しくなり、計画的に勉強を続けるにも困難が伴う。驚くことに、本人の口からも「学校に行く意味は多少あった」という言葉が飛び出す始末。年齢的にじっとしていること自体が、不自然なのだろう。「散歩ぐらいの外出はいいらしいよ」とは言ってみるのだが、率先して外に出ることもなく、淡々とスマホを弄っている。そして、思春期そのものの頑なさで親を拒否る。駄目親の無力を実感する。じっとしていると、人間は良からぬことを考える傾向があるのだろうか。適度な外出行動にはどんな効果があったのか、そんな考えもしなかった意味が露呈してきている。ツイッターの「通勤の意味は気分転換だったのか」が面白がられたのは、それが言えて妙だったからだ。僕自身もガラガラの電車で時々通勤する時、体が場所を移動することで得られる体験とも言えない体験の蓄積、目に入る何度も繰り返し見た光景の変化に、知らず識らず適度な刺激を与えられていたことに気づく。意識していなかった微細な変移が、逆に安定を保つことに一役買っていたとは知らなかった。
会社なんて行かなくていいなら、ずっと行きたくない。そんな子供のような感覚が僕にはあったが、電話で打ち合わせをする時、無意味な会話をあえて続けてしまったり、チャットに関係ない言葉を入れてしまったり、同僚達との繋がりに細やかな有り難さを感じることが、テレワークをして初めて意識できた。飲み会の類に参加することは滅多にない。(おそらく去年は全て欠席)そんな人間嫌いを地で行く僕が「今日は会社行かなきゃ」という日、これまでとは違った感覚が身をよぎる。
僕は「休日を好きに使っていい」と言われたら、喜んで家に引きこもる人間なので、この生活に関して実は然程のストレスを感じておらず、逆にやるべきことに集中できている。人に会わなくていいため、人間関係のトラブルに巻き込まれることもない。家族と1日中一緒にいられる安心感もある。しかし娘はそうでもなさそうだ。僕と同じで、学校が大嫌いだった為、降って湧いた連日の休みを当初は面白がっていたものの、こうも長期化すると表情が乏しくなり、計画的に勉強を続けるにも困難が伴う。驚くことに、本人の口からも「学校に行く意味は多少あった」という言葉が飛び出す始末。年齢的にじっとしていること自体が、不自然なのだろう。「散歩ぐらいの外出はいいらしいよ」とは言ってみるのだが、率先して外に出ることもなく、淡々とスマホを弄っている。そして、思春期そのものの頑なさで親を拒否る。駄目親の無力を実感する。じっとしていると、人間は良からぬことを考える傾向があるのだろうか。適度な外出行動にはどんな効果があったのか、そんな考えもしなかった意味が露呈してきている。ツイッターの「通勤の意味は気分転換だったのか」が面白がられたのは、それが言えて妙だったからだ。僕自身もガラガラの電車で時々通勤する時、体が場所を移動することで得られる体験とも言えない体験の蓄積、目に入る何度も繰り返し見た光景の変化に、知らず識らず適度な刺激を与えられていたことに気づく。意識していなかった微細な変移が、逆に安定を保つことに一役買っていたとは知らなかった。
会社なんて行かなくていいなら、ずっと行きたくない。そんな子供のような感覚が僕にはあったが、電話で打ち合わせをする時、無意味な会話をあえて続けてしまったり、チャットに関係ない言葉を入れてしまったり、同僚達との繋がりに細やかな有り難さを感じることが、テレワークをして初めて意識できた。飲み会の類に参加することは滅多にない。(おそらく去年は全て欠席)そんな人間嫌いを地で行く僕が「今日は会社行かなきゃ」という日、これまでとは違った感覚が身をよぎる。
